事件をうけて(辺野古からの報告)

辺野古リレーの仲間から、辺野古現地の報告が届きました。

米軍基地が存在することで、沖縄がどれほど過酷な日常を強いられているのか、この国に住む私たち一人ひとりが、しっかりと考えなくてはなりません。

沖縄の現状を、悲痛な思いを、「自分のこと」として知り、受け止め、考えてほしいと思います。


お疲れ様です。
キャンプシュワブゲート前から報告です。

最悪の結末を迎えた事件の幕引きから一夜明け、キャンプシュワブゲート前では梅雨の晴れ間の、苛烈な日差しの照り付ける一日が始まりました。

嘉手納基地第一ゲートでも早朝と正午から抗議集会が催されたため、キャンプシュワブゲート前に集った人の数は普段に比べても少ないものでしたが、朝一番から集ったほぼ顔なじみの面々の間には深い悲しみと怒りに満ちた重苦しい空気が流れました。午前9時の集会開始とほぼ同時に山城博治さんの号令のもと、新ゲート前に座り込んで軍用車両、Yナンバー車輌の通行を阻止しての猛抗議を開始。結局、昼の休憩とその後の計2時間ほどを除いて、ほぼ一日中ゲート前に座り込んでは県警機動隊に排除されることを繰り返す、過酷な、徹底抗議の一日となりました。

しかし、繰り返し抗議者の排除・車両の通路の確保のために整列して出てくる若い機動隊員にも、明らかに沈み込んだ表情をしている者が多く見られました。ある人が、今回の事件の被害者となった女性の写真を掲げて、「これがあなたの妹だったら、恋人だったらどう思うか」と、隊員の一人一人に問いかけていたところ、一言、「友達です」と答えて俯いた隊員がいたということです。

改めて、自分たちの勝手な都合のもと、この小さな島に過重な負担を押し付け、分断を持ち込んで県民同士を向かい合わせるという、人を人とも思っていない典型的な植民地支配の手法、日米両政府のその非道な所業が白日の下に曝された日でもありました。

とはいえ、ここで抗議の手を緩めることは絶対にできません。

今回の事件の経過には、単に一個人が起こした凶悪事件として片づけることは到底できない、差別的な構造と意識に基づいた許し難い点が多々あります。そもそも、女性の失踪への米軍関係者の関与が疑われだした後、ある捜査員から琉球新報へのその情報のリークがなければ、事件自体がある意向により、闇に葬り去られていただろうというのは、多くの人が信じていることです。

そして、政府・与党内の人間はこの事件の発覚を、「最悪のタイミング」だと言ってのけたということが、広く報道されました(一体、この凄惨な事件にどんな適切なタイミングがあるというのか)。

米国籍の軍属の男性が逮捕された段階でもケネディー駐日大使から明確な謝罪はなく、在沖四軍調整官と在沖総領事が副知事のもとに謝罪に訪れて深々と頭を垂れた今日も、米軍基地は明らかに訓練を含めて平常運用され、今もキャンプシュワブからは海兵隊員が基地外で飲酒をするために出かけていきます。何よりも問題なのは、この島に押し付けられた米軍基地の存在そのものであり、それがなければ彼女は若干二十歳で非業の死を遂げることはなかったはずです。

沖縄戦の集結から70余年、本土復帰から40余年、普天間飛行場の返還合意の端緒となった少女暴行事件から20年余りを経てまた、語られた、あるいは語られることのなかった数多くの悲劇と同様の、もしくはそれ以上の悲劇が繰り返されました。

一体、この再発防止策を、全基地撤去、米軍の全面撤退以外の何に求めようがあるのでしょうか。

そして、全ての米軍基地を沖縄から撤退させる歴史的なうねりの最初の動きは、ここ、辺野古、キャンプシュワブゲート前で起こすしかないというのは、山城博治さんが語気を強めるところです。東京で沖縄に連帯して闘う皆さんには残念なお知らせだったかもしれませんが、彼は今辺野古の現場をあけるわけにはいかないと、明日の東京での「レジスタンス大行動」への参加をとりやめました。

東京の、本土の、ヤマトの皆々様、これまで以上の各地での連帯と、可能な限りの辺野古の現場への結集をお願いいたします。ヤマトの人間としての責任は、今果たさなければなりません。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中