すわりこみ日記

ここでは、「辺野古リレー」につらなる人たちが、辺野古で体験したこと、現地での過ごし方などを紹介していきます。


好評連載中!「Tさんのすわりこみ日記」はこちらでまとめて読んでいただけます!


2017年2月の派遣報告

2月は2名の仲間が辺野古に行きました。これまで延べ148名を辺野古に派遣しました。皆様のご支援ありがとうございます。

〈2月の派遣日程〉

  • 2月18日〜22日(2名)

以下Uさんの報告です。(女性2月18日〜22日)

〈辺野古〉

辺野古の朝は早い。6時には人が集まってくる。キャンプ・シュワブゲート前に立ち、道路に行き交う車に基地建設反対をアピールしたり基地内に向かって思いを訴える人たちがいらっしゃる。

私も抗議行動の準備を手伝い、座り込みに参加する。
工事車両が来るまでの間はリーダーや参加者のお話を聞いたり歌を歌ったりして楽しく過ごす。
いつも県外からの参加者には挨拶の機会があり、私も 日頃東京で行っている行動などをお話させていただいた。
テントに宿泊していることを話すと、皆さんから「おおーっ」と声が上がったので、テント生活は想像以上に快適ですよ〜とお勧めしておいた。
9時頃、工事車両が到着し1度目の排除が始まった。
土曜日にあまりにもあっさりとごぼう抜きされてしまった反省から、今日は体格の良さを活かして!?かなり頑張ってみた。あちらの人手をかけるのも必要と聞いたので、仲間から引き剥がされてからは全身を機動隊員に預けて3人がかりで運ばせた。
ところがなんと失礼なことに私を運んでいた機動隊員が「…重いな」と文句を言った。それだけでもムカッとき たのに、追い討ちをかけるように別の隊員がわざわざ私に向かい、「あなた、重いですよ!」と声をかけてきた。まったく失礼極まりない。
しかし、心の中では「体重が重くて良かったかも!?」と思わなくもなかった(念のために申し上げておくと、とりあえず身長に対しては適正体重です)。
とにかく少しでも工事を遅らせることが大切なのだ。
ところが思いがけず逮捕者が出てしまった。
もちろんその方が暴力をふるったわけではない。
さしたることもないのに機動隊は嫌がらせのように、恫喝のように逮捕する現実を目の当たりにした。怒りがこみあげる。
こちらが状況説明の要求 をしても機動隊はまったく答えない。
警察車両を出さないようにみんなで努力をしたが残念ながら力が及ばなかった。
お昼頃には2度目の工事車両の出入りがあり、再びごぼう抜きされた。
囲いこまれてから目の前に立ちふさがっていた機動隊員の顔を見つめた。
私にまだ怒りの表情があったときには私をチラッとにらんだりバカにしたような表情を浮かべていた若い隊員は、私が努めて冷静に穏やかにと気持ちを落ち着かせてからはまったく私を見ようとはしなかった。
実際に自分が排除されて感じたのは、こちらは何としても工事を止める、遅らせるという確固たる目的があるから、排 除は厭わない。
しかし、機動隊員はこの任務に何の意味を見いだしているのだろう?
何の生産性もない行為は若い隊員の精神を荒ませてしまうだろう。
若者にこのような無生産な行為を強いる国家権力に更なる怒りがこみあげる。

〈高江〉

日曜日は辺野古の基地内の工事が休みのため、抗議行動も休み。
ずっと気になっていた高江に行くことにした。
途中、安部の浜に寄った。美しい海、白い砂浜、そこここにキレイな貝やサンゴのかけらが打ち寄せられている。
その岬の向こうに、昨年12月、オスプレイが墜落したのだ。
かなり広い範囲に機体の破片が散らばり、近くに行けば今でも落ちているらしい。この海の美しさにはまったく似つかわしくないオスプレイの醜い残骸が。

高江へは辺野古から車で1時間ほどかかる。東村に入ると壁に大きく「日本一のパイン村」と書かれた建物があった。
本当にのどかな農村風景が広がっている。
まさかこの村の中の、豊かで貴重な深い森の中に、あの不恰好な“未亡人製造機”が発着する場所があるとは、想像もできないほどだ。
N1ゲート前の小屋には日曜日のためか監視当番の方がいらっしゃるだけだった。抗議行動はなくても今でも全国からそこを訪ねてくる人は絶えないそうだ。
いや、実際には今でも抗議行動は行われている。
オスプ レイパッドはまだ完成していない。作業員を中に入れないように曜日や時間を固定せず阻止行動が続けられているのだ。
本来の工期と工法を守らずにありえないようなバカげた突貫工事をしたために、完成する前からオスプレイパッドは崩落が始まっているという。
バカげた突貫工事をさせたのはもちろん国だ。
そして、専門家のお話では、恐らくあのままではオスプレイの発着には使えず、まるっきり工事のやり直しをしなければならないかもしれないとのこと。
再び莫大な税金が使われることになる。
貴重な森が無惨に切り開かれてしまったのは悔しいが、オスプレイに使わせないためにはまだまだできることがあるのではないか。
沖縄の中でも「高江は終わった、負けた」と 考えている人がいるが、それはまったく違う。
とにかく私たちは高江の工事に目を向け続けなくてはならない。
あのフェンスの中で、国が秘密裏に姑息な工事のやり直しをするのを阻止したい。
高江は終わっていない。

(以上)

2017年2月の派遣報告は以上です。引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。


2017年1月の派遣報告

1月は2名の仲間が辺野古に行きました。これまで延べ146名を辺野古に派遣しました。皆様のご支援ありがとうございます。

〈1月の派遣日程〉

  • 1月10日〜24日(1名)
  • 1月30日〜2月5日 (1名)

(以上)

2017年1月の派遣報告は以上です。引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。


2016年12月の派遣報告

12月は2名の仲間が辺野古に行きました。これまで延べ144名を辺野古に派遣しました。皆様のご支援ありがとうございます。

〈12月の派遣日程〉

  • 12月5日〜23日(1名)
  • 12月17日〜23日(1名)

以下、派遣報告です。(12月17日〜23日)

リレー派遣で辺野古・高江へ行きました。
現地の激動と今後への展望が交差する時期でした。報告を送ります。

【12月17日】

ようやく時間が取れたため、ゲート前などを手伝うため7か月ぶりに辺野古へ。
12日に最高裁が「辺野古で県側が敗訴」を宣言。13日にオスプレイが墜落・大破。
15日に防衛局が高江の「工事完了」を一方的に宣言。という激動情勢の中で現地へ。
前夜に那覇に着き、早朝から辺野古の浜テント→ゲート前へ。旧知の人や初めてのスタッフに挨拶。今は高江があるため辺野古の集会は午前中のみ。
海は船とカヌーが出て、オスプレイの墜落現場に抗議に行っていた。
午前は集会後に墜落現場近くの安部の浜に見に行く。米兵が黄色い線で仕切った砂浜に残骸を海から回収→証拠隠滅していく。「不時着水」なら残骸などないはずで、ふざけた光景だ。皆で隠ぺいをやめろと日本語や英語で抗議。

ゲート前に戻り、13時からオスプレイ墜落緊急抗議集会を手伝った。
3日後で900人の参加、沖縄の結集力はやはりすごい。沖縄選出の全国会議員と稲嶺市長が怒りの発言。安次富さんが、米軍作業員が防護服を着ていたことに、オスプレイが放射性物質を積んでいる可能性に抗議。前から思っていた沖縄基地建設と福島原発事故との「国家暴力の凄まじさ」「核=戦争」という共通性が一直線につながった。
極東の島国で同時進行する2つの世界的事態をつなげる言葉と行動がもっともっと必要だ。

集会後、毎日17時半からの名護署前の激励・抗議行動へ。勾留される2名へ代わる代わる声を。自分も「こんな事後弾圧は許せない、東京でも皆で抗議してきた」とスピーチ&「仲間を返せ!弾圧やめろ!」とコール、2人ともよく知っててたくさん世話になったので万感の思いに。関東や関西からの仲間もたくさん来ている。全員が喋り2人に想いを届ける。声は中によく聞こえる。

一度ゲート前に戻ってから、夜の高江へ。工事再開後初の高江。初の巨大化したN1裏テントへ。見事な設備だ。そのままテントに宿泊。坂道で寝たのでずるずる滑り落ちる。

【12月18日】

行動がないので遅めに起床。拡大した裏の様子を初めて見る。みんなで朝食を作る。
テントに来る人たちと交流しながら、細々様々な作業を手伝い、この5か月の闘いと今後の様々な話を聞く。
午後は表テントへ。東京時代からの知人が当番、「完成」の怒りと悲しみを聞く。反対側に移動されたテント、辺野古と同じく機動隊車両とアルソックが並ぶ入口、上から見える基地内道路。変わり果てた姿に愕然とした。同時に激しい時期に来られなかった事を本当に後悔した。
自分は住民の方々が「完成」をどう思っているか気になっていたので、途中から来た伊佐育子さんに聞いた。だが「選挙に勝った後の安倍政権の暴力をまざまざとぶつけられた。それが高江。いま自分たちが挫けたら辺野古や全国にも益々やられる。だから諦めないよ」と毅然と語った。視野の広さと勇気に感動した。

裏テントに戻り、工事の様子の写真解説を聞く。もう全てがでたらめ。雨が降ればヘリパッドも階段も道路も溶け出す(この間の高江は雨が少なかった)。究極の手抜き工事。防衛局が作業員に何も言わないため、作業員はヘルメットを被らずサンダルに加えタバコで作業する写真を労基署に見せて追及させた。作業員とは受注者が何も言わなければこうなるのだ。この写真は名護で25日まで開催される写真展で展示されている。そのまま裏テントに宿泊。

【12月19日】

朝から雨。裏テントで打ち合わせ。その後雨が激しいため表ゲートの集会へ初参加。150人ほど。「返還式典」前に何とか来ようとしたヤマトの人が今日は本当に多い。雨に打たれながら次々発言。ゲート前に神奈川県警が現れ、本当に腹が立ち自分も発言。だが「完成」の悔しさと申し訳なさでうまく話せず。
午後、人々が雨上がりの山へ入り監視と抗議行動を行う。その後の話合いで、年末年始もテントは基本継続させることを聞く。
夕方に名護へ戻り、ゲート前テントに防衛宿泊。

【12月20日】

朝9時から辺野古ゲート前集会。米軍車両を止める。5月の女性殺害事件以降毎日行っていた。
人数に関係なく。前日にはオスプレイが飛行再開しており、殺人機械が勝手に空を飛ぶなら陸では殺人車を体で止めるのだ。何度排除されてもそれを続ける。午後から東京で記者会見→最高裁行動→官邸前抗議が始まったことを報告し、ツイッターを見ながら東京の仲間に想いを馳せる。ゲート前に電話でブロック弾圧の4名の仲間の釈放か否かの情報がどんどん入り、2名が釈放の報!名護署前で全員合流することに。
地元のKさん、カヌーのKさんと抱き合い、解放と再会を喜び合う!2人とも元気だ。しばらく「残る2人を返せ!」とコールを続けていると、「Iさんとヒロジさんが起訴された」との報が。威力業務妨害だ。ふざけるな!Yさんが2人を励ます歌を歌い始めると、歌う自分も涙が出てきた。悔しい、悔しい、辺野古再開への布石だ。接見に入った福島みずほさんが戻り、この長期勾留を大きく問題にしていくと報告。全国から問題にし、一刻も早く取り戻そう!
ゲート前に早めに戻り留守番、テントに防衛宿泊。

【12月21日】

朝9時から米軍車両阻止の集会。東京の仲間も参加・発言。人々は最高裁判決へ怒りを表明。
様々な作業。午後、テントに右翼が来て、街宣車で妨害。沖縄の右翼2人とヤマトの右翼2人。後者は有名なネット右翼と、いかにも政治団体代表といった黒スーツ男。やりとりを見ていると、黒スーツが沖縄の2人に色々嘘を吹き込んでいる事が丸わかり。挑発は無視しつつ、黒スーツには「お前のようなヤマト右翼を絶対に許さない」と批判。沖縄では本当に毎日考えさせられる。
夕方名護署へ行き、起訴されたj二人に声をかける。Yさんが「安保!廃棄!沖縄返せ!」を歌い、自分も「今こそ立ち上がろう」を歌う。その後テントに防衛宿泊。

【12月22日】

ついに政府主催の偽りの「腹部訓練場返還式典」と、オスプレイ抗議大集会の日が来た。
まず朝から米兵車両阻止行動。途中で抜けて、女性の死体が遺棄された現場へ初めて行く。
多くの花と飲み物があり、「日米政府を許さない、全基地撤去」の張り紙。人の気配も車もなく、元米兵が地理を知り尽くした上で犯行したことがリアルに浮かび上がる。悲しみがこみ上げる。

その後名護署へ、Iさんに面会。まずゲート前として、ヒロジさんにくるぶしより少し長いモコモコ靴下差し入れを試みる。名護署に渡すが、「県警に聞き、無理です」と回答。「自殺防止か?そんなのデタラメだ」と抗議するが、時間不足のため途中で断念。次は本気で認めさせたい。寒さが体に悪いのだ!
Iさんは3週間のハンストが信じられないほど元気で明晰。お互い久々の再開に満面の笑顔。東京の仲間のメッセージも伝える。

午後、大雨の中でブセナの政府式典抗議行動へ。入口は1カ所のため交差点4方を人々が固め、コールを繰り返す。自分(たち)は横断歩道をゆっくり渡りながらプラカで抗議。高江住民は巨大看板で現状を見せる。
警視庁のジャケットがずらりと並んでいる。奴らが官邸前と同じ鉄柵規制と青信号をわざと短くする操作をしながら、菅と稲田を守っている。侵略者としての東京が丸ごと持ち込まれているのだ。果てしなき怒りがわいた。何度も抗議する中、3時45分、2名は怒声の中ハイヤーで会場へ入っていった。
式典は外で誰にも歓迎されず、警察暴力の中で強行されたが、それがヤマトでは報道されず、式典の中のみが垂れ流される。この日の琉球新報では「今年の沖縄10大ニュース」が特集され、1位は女性暴行殺害事件、2位はオスプレイ墜落、3位は子どもの貧困率全国断トツ1の30%、4位は高江の工事再開、辺野古敗訴、「土人」発言。
ヤマトの10大ニュースは全く違うし、沖縄のことは忘れられている。だがこれらは皆全国10大ニュースに入るべき大事件だ。
沖縄(と福島)で空前の暴力をふるい、ヤマトはマスコミの仮想現実で覆いつくす。これが現代日本だ。この状況を変えるにはまずより多くの人が暴力の現場へ行くことだ。辺野古リレーの原点もそこにある。

夜、名護のオスプレイ墜落抗議大集会へ。翁長知事の登場に会場が満場の拍手。
知事から県民まで一体となって闘うことへの大きな期待だ。会場が人で埋め尽くされていき、各議員や名護の住民や高江住民が発言していく。凄い熱気だ。作られた高江ヘリパッドへの怒り、来る辺野古新基地再開への阻止の覚悟が充満している良い集会だ。わずか数日間で、那覇でなく北部名護で、平日夜に4200人が集まるのは本当に凄いことだ。沖縄には国家暴力だけでなく、民衆の希望がある。民衆自身が未来を切り開く実例が、ある。

ゲート前に戻り、防衛宿泊。

【12月23日】

前日の集会で最初に発言した高里鈴代さんが司会。参加者は10人弱。規模と無関係に集会し続ける個々人の強さを本当に感じる。人が少ないので皆おしゃべり。お互いをよく知っている。
この連帯感が強さであり、一人ひとりがバラバラにされた都市の運動や社会から失われているものだ。辺野古リレーは、この連帯感を現地で感じた人々が、「冷凍都市」東京でそれを再現するためにも集まり始めたと思う。人間は一人じゃ生きられないし、社会も変えられないのだから。
そのことを思い出し、さらに頑張りたいと思った。

ゲート前の仲間に挨拶し、帰路へ。偶然那覇まで乗せてもらった現地の方は「年明けの辺野古はまず海からかつてなく激しい闘いになる。ゲート前にも大量の機動隊が来る。弾圧もされる。でも絶対に負けない」と。これは多くの方が言っていたことだ。まさに年明けは嵐だろう。
だからこそ「辺野古のたたかいを全国へ」。機動隊を沖縄に行かせないたたかいをそれぞれの地元で!そして現地へ行き、海に出よう、ゲート前に座ろう。

(以上)

2016年11月の派遣報告は以上です。引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。


2016年11月の派遣報告

11月は7名の仲間が辺野古に行きました。これまで延べ142名を辺野古に派遣しました。皆様のご支援ありがとうございます。

〈11月の派遣日程〉

  • 10月28日〜11月1日(2名)
  • 11月1日〜8日 (1名)
  • 11月1日〜18日 (1名)
  • 11月7日〜22日 1名)
  • 11月16日〜20日 1名)
  • 11月24日〜 (1名)

以下、派遣報告です。(10月28日〜11月1日)
2017_11_001
2017_11_002

●10月28日

早朝に羽田を出て、沖縄・那覇空港なに着きました。去年の5月に来たときと自衛隊の飛行機の数が違うのにまずは驚かされました。まるで、いつでも飛び立てますよとアピールしているかのよう。
レンタカーで普天間基地と嘉手納基地を見学。
嘉数高台からひどかった戦闘のあった地域を知り、ここを返還されるといい町になるだろうと想像しました。
嘉手納基地は道の駅の屋上から見てその広さを感じました。そしてカメラを構える人がたくさんいたのには驚きました。なにか特別な事が起こるのか?わかりませんでした。

●10月29日

5:00起床、5:15分には出発して、高江に向かいました。
高江ではすでにたくさんの人たちがゲート前で座り込み、6:00には集会が始まりました。多くの参加者が次々話をして、熱い思いを伝えていきます。
辺野古リレーのメンバーが監査請求をしたことを皆さんに伝え、東京や神奈川県など各地での取り組みがあること、離れた地域でも共闘していることを訴えました。
島ぐるみのバスが次々と到着してたくさんの人が降りてきます。どんどん人数が増えて、心強く嬉しくなりました。集会参加者は300人にもなりました。
午後からは「機動隊による暴言を許さない、現地集合」が開かれました。
「私は土人だ」という看板を持った方は機動隊に向かって出ていけと激しく発言していました。沖縄に対する差別と偏見が、今は死語となった「土人」発言になったと思います。
機動隊は今すぐ沖縄から帰れ!と声を大にして言いたい。
この集会で明らかになった事がありました。
すでに砂利のトラック1500台分のものが運びこまれた。後、500台の砂利が運び込まれたら、あとはもう中での作業になり阻止しようがない。
日数にして10日も有れば運び込める。今が一番大変なとき、もっとたくさんの人にきてもらってほしい。
300〜500の人がいれば阻止できる。高江に集まってほしいと言うことでした。
島ぐるみのバスを借りきり、たくさんの人にきてもらってほしい、何とか阻止しよういう緊迫感が訴えられました。
もうそんなところまで来ているのかと思い、愕然としました。
確かにこの日は300人の人がいたので、トラックは来ませんでした。機動隊も動きませんでした。やはり向こうもこちらの様子を見ている。
何とか砂利を搬入させないようにがんばりたいです。

夕方からは辺野古の瀬嵩の浜での市民集会に参加しました。辺野古の戦いもまだまだ続く、諦めず続けて行こうというメッセージでした。
浜辺で風に吹かれ、音楽もあり、350人の集会が出来て素晴らかった。

長い一日でした。

●10月30日

伊江島に行き、戦績巡りと資料館でのお話を伺いました。伊江島のことをあまり知らずにいたので、勉強になりました。

●10月31日

朝から辺野古に行き、船にのせてもらい、海からのキャンプシュアブを見ました。そして、きれいな海を見て、これは絶対に新基地を作らせては行けないと実感しました。
ゲート前ではハワイの方たちが応援に駆けつけてきて、歌を歌ったりレイをプレゼントした り、力強い声をあげました。
沖縄では「世界のうちなんちゅー大会」が行われ、世界各国に移住した沖縄の人たちが、5年に一度集まって交流しています。その方たちが辺野古の戦いに共鳴して応援しに来たのです。
辺野古の戦いが世界の辺野古になるかも知れません。

その後、浜辺のテントにも訪問しました。テント村の戦いは4579日目になりました。粘り強い戦いが、新基地を作らせないことに繋がっていると言うことがはっきりわかりました。

名護警察署前で不当逮捕された仲間を励ますための抗議行動に参加しました!たくさんの人が集まって来ます。

●11月1日

早朝から本部の運送会社ダンプカー駐車場の前で阻止計画でしたが、前日の抗議行動でダンプは遅れてしまったので、今日は市民が来る前に出てしまっていました。
それで私たちは国頭の採石場に行き、阻止行動に参加しました。
トラックがどんどん山に登っていくのを見送り、その山道の両側に車を停めてトラックが降りてこられないように準備しました。そして、市民が車にしがみつき排除されないように体を張って阻止しています。それを機動隊が取り押さえ引き抜き、押さえつけます。非暴力で頑張る市民にたいして、機動隊は何人も取りかかり、力ずくで引き離し拘束します。しかし車を移動され、とうとうトラックは出て行ってしまいました。
その後高江に向かいましたが途中で道路を封鎖し入れてもらえませんでした。
高江ではたくさんの砂利が搬入され、残り少ない日数が残されるだけになりました。
なるべく多くの人たちが高江に集まってくれることを望んでいます。

(以上)

2016年11月の派遣報告は以上です。引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。


2016年9月の派遣報告

9月は4名の仲間がキャンプシュワブゲート前行動に参加しました。高江での抗議行動にも参加しています。これまで延べ135名を辺野古に派遣しました。皆様のご支援のおかげです。ありがとうございます。

〈9月の派遣日程〉

  • 12日〜19日
  • 16日〜19日
  • 18日〜27日
  • 23日〜10月6日

以下、Tさんの報告です。(男性 4日〜7日)

◎9月16日

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9月16日 ゲート前で米兵に抗議

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9月16日 仲間を返せと名護警察署

9:00、キャンプシュワブのゲート前で米軍関係者の車両に抗議。高江に向かう人が多いなか、この時点で10人程度と少ない参加者。しかし機動隊も4人しかおらず「手に負えない」様子だったが、その分、軍警数人がゲート前に出張ってきて、緊張感が漂っていた。そのとき、いつの間にか、一人の仲間が軍警によって基地内に引きずり込まれてしまった。

「仲間を返せ!」「米軍は通さんぞ!」とゲート前で座り込みを続けた。訓練に向かう米軍輸送車両が数台、立ち往生。高里鈴代さんが先頭にたち、海兵隊員に英語で抗議のメッセージを送り続けた。

午後、名護警察署へ。ここには不当逮捕された高江と辺野古の仲間2名が勾留されている。昼は日差しが強烈なのに、夕方になると暴風雨へと目まぐるしく変わる悪天候の中、「仲間を返せ!今すぐ返せ!」と抗議の声を挙げつづけた。

◎9月17日

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9月17日 N1ゲートを封鎖

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9月17日 ゲート脇を登ったところ

5:00、辺野古ゲート前テントの仲間と共に、「高江応援組」の一員として高江に向けて出発。6:00に高江の共同売店に着く頃には明るくなっていた。私が高江に来るのは確か5年ぶりで、工事が再開してからの様子はネットを通じてしか知らなかった。

7:00、N1ゲート前で座り込み行動開始。土曜の集中行動日で、県内から続々と市民が集まる。山城博治さんが「工事車両を入れさせない」と行動開始を宣言。辺野古ゲート前そっくりだ。福島瑞穂議員が応援に駆けつけたところで、ゲート沿いの国道の交通誘導係を仰せつかった。もちろん、工事車両とか警察車両の移動にも警戒する。

しかし数百の市民の結集により、ついに工事車両は来なかった! ゲート前は勝利の集会場になった。自衛隊ヘリまで利用してヘリパッド建設を強行する安倍政権だが、沖縄の人々は決して屈してない。

15:00に集中行動が終わったので、N1裏ゲートのテントを初訪問した。思ったより大きい。ここのテント維持も大変だろうと思う。

夕方、名護警察署へ行き、捕らわれた2名の仲間の奪還を求める。ここにも福島議員が訪れ、弁護士として面会した。仲間は元気だとのことだが、いつ解放されるかとヤキモキしたところで、18:50、ようやくゲート前で刑特法違反容疑で逮捕された仲間が署から解放された。一安心だ。私たちが名護署を引き上げた後、高江で逮捕された2名もやっと解放されたことを聞き、テントの仲間たちと祝杯を挙げた。

◎9月18日

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9月18日 テントに右翼団体が押しかけ

台風接近でゲート前テントを部分的に撤収することになった。そこで地元の建築知識のあるベテランの方を先頭に、テント骨組みの補強作業などに精を出す。

午後、一息入れてくつろいでる矢先、「大日本忠仁会」という右翼団体の街宣車2台が襲来。聞くに絶えない罵詈雑言を浴びせかけ、数人が降りてきてテント内への侵入を図ったりした。そこに機動隊が介入してきてので、かれらは去って行った。辺野古埋め立て承認取り消しをめぐる裁判で県が敗訴したことで、彼らも勢いづいてるようだ。

◎9月19日

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9月19日 高江でダンプが通過

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9月19日 高江で不当拘束

5:30、ゲート前テントの仲間たち数人と共に、高江に向け出発。非常に眠いが、那覇から来る人はもっと眠い中、頑張って参加している。

7:00、高江に到着。土曜の集中行動日に比べると、参加者はグッと少ない。連日の闘争でみんなお疲れであり、ゲート前での阻止行動はお休み。そもそも今日は「敬老の日」だ。お年寄りをいたわる日のはずだ。こんな日にも工事をやろうなんて、防衛省は何を考えているのか。

そんなことを思いつつ、北部訓練場の通称「メインゲート」付近で工事車両のトラックを警戒していたら、作業員を載せた車が数台、通過してきた。からだを張って直接、抗議する。すると、愛知県警と思われる機動隊員に力づくで叩き出された。

さらには、何の法的根拠もないのに、およそ2時間に渡って歩道の一角に隔離された。その間、採石を積んだダンプが9台も警察車両の護衛付きで通過していった。無表情の屈強な若い機動隊員に囲まれているので、叫ぶことしかできない。悔しいこと、この上ない。

集中行動日を避け、人手の少ない日を狙って、全国から送り込んだ機動隊の数の力で工事を進めるやり方は、これまで辺野古で何度も目にして来た。

抗議する女性の仲間に、ある機動隊員は「こんなことをやって止められると思うのか」と傲慢にも言い放ったという。だが、ダンプの土砂がすべてN1ゲートに入ったのは正午過ぎ。工事の進捗を確実に遅らせているのは間違いない。だからこそ防衛省は、自衛隊ヘリを投入するなんてムチャクチャなことをするのだ。

辺野古と高江の阻止行動と、県と国の行政同士の裁判はこれからも続く。私たちも東京でできることをもっと模索しなければ、と思いつつ帰路についた。

(以上)

2016年9月の派遣報告は以上です。引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。


2016年5〜8月の派遣報告

〈5月の派遣日程〉

5月は3名の仲間がキャンプシュワブゲート前行動に参加しました。

  • 10日〜16日
  • 16日〜30日
  • 24日〜28日

〈6月の派遣日程〉

6月は4名の仲間がキャンプシュワブゲート前行動に参加しました。

  • 15日〜29日
  • 17日〜21日
  • 18日〜22日
  • 19日〜24日

〈7月の派遣日程〉

7月は6名の仲間がキャンプシュワブゲート前行動に参加しました。

  • 13日〜26日
  • 16日〜23日
  • 19日〜8月9日
  • 20日〜8月8日
  • 26日〜30日
  • 28日〜8月2日

〈8月の派遣日程〉

8月は6名の仲間がキャンプシュワブゲート前行動に参加しました。

  • 6日〜8日
  • 9日〜14日
  • 11日〜14日
  • 18日〜21日
  • 19日〜24日
  • 24日〜(9月6日)

皆様のご支援ありがとうございます。引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。


2016年4月の派遣報告

4月は3名の仲間がゲート前行動と海上行動に参加しました。これまで延べ111名を辺野古に派遣しました。皆様のご支援ありがとうございます。

〈4月の派遣日程〉

  • 4日〜7日
  • 13日〜26日
  • 26日〜(5月20日)

以下、Fさんの報告です。(男性 4日〜7日)

◎4月5日

5日は、普天間基地でオスプレイを見てから昼頃に辺野古へ入り、送迎のお手伝いをした後、北海道からみえていたご夫妻の送別会へ参加させて頂きました。

工事の中断に伴い、早朝座り込みもないのと(9時から第1ゲート前開始になりました)、以前から現地の方にお願いしていた船に乗せて頂く為に、8時前に第2テントへ向かいました。ところが霧が出ていた為、1時間以上待機していましたが、結局本日の船は出ない事となり(カヌーは出たみたいです)、急いでゲート前に戻り座り込みに参加しました。

米軍の戦争車両が基地に入る時は車両に詰め寄り抗議の姿勢を示すと、沖縄の機動隊がゲート前の通路確保に出刃ってきました(怒)。米兵が笑ってこちらをみたり、写真まで撮る輩がいて、更に腹が立ち激しく抗議をしました。

11時からはテント前に移動し、山城さんの話しや歌・踊りを交えたりしながら来訪者が連帯の挨拶などをしました(私も挨拶させられました)。

1時半にテントから音響設備・旗・バナー・飲み物と7人を乗せて、瑞慶覧(ずけらん)のキャンプ・フォスター(在沖米海兵隊基地司令部)へ。3時から行われる、芥川賞作家、目取真俊氏の先日の不当逮捕に対する抗議です。「国と県の代執行訴訟の和解後も米軍による蛮行が続くのは米軍当局の県民への挑戦だ」とした集会に参加してきました!

ゲート前を封鎖しての抗議集会が終了5分位になったところで、機動隊・軍警が強引に通路を作り車両をだそうとした為に、車道を塞ぎながら車を出さない様に猛烈な抗議を10数分繰り広げ、殺気立つ場面となり、逮捕者が出る寸前まで行きましたが(1人が機動隊に取り囲まれ移動させられそうになった)、皆で割って入り、無事にとりもどしました。

後で判った事ですが、その車両には司令官が乗っていたそうです!

山城さんは、本日の闘いは意義があり成功だと述べられていて、今後も司令部へ抗議を繰り返したいとも言われていました。

◎4月7日

6日の抗議集会時、県警の撮影を妨害する為に旗を持ち、風が吹く中で追いかけ回した腕の疲れと、もみ合った時の腰の痛みが残っていましたが(普段の運動不足)、濃霧も晴れていましたから、船上からの案内と抗議に参加させてもらいました。

出港後まもなく、数隻の船が寄ってきましたが、臆する事なくフロートを越えると近くまで寄ってきて撮影をしたり『ここは立入禁止区域です、ただちに退去して下さい。ご理解とご協力をお願いします』と、言葉尻は丁寧ですが、恫喝じみた発言を繰り返していました。これを無視して(工事中断以前なら、フロートを越えた時点で海保に力ずくで排除されていました)、コンクリートブロックを積んだままの作業船まで近寄るとマリンセキュリティの船が間に割って入って来て、邪魔(?)をします。

外からは見えませんが、数名の作業員が、今でも船内で生活しているそうです!

さらに船を進め、ボーリング船に近寄ると作業員3名が塗装を削る作業(サビ落とし)をしていましたから『ヤメテ帰れ』と抗議しましたが、振り返りもしませんでした。船を進めて今度はカヌー隊のサポートに相変わらずマリンセキュリティが、がなり立てていますが、全艇フロート越えをして(ちなみに、このフロート大玉が3万円・小玉が5千円するのが数千個あります)、カヌー隊が岸に向かうと、軍警(日本人)が10名位出て、陸からも警備をしていました。

カヌー隊はボーリング調査船にも向かい抗議。マリンセキュリティは近寄りますが、海保の船は遠くから眺めているだけです。カヌー隊が方向を変えて進み始めると、セキュリティ船が速度を上げてポールへ向かい、3艇で1本のポールを守りに行きましたから、守るものを間違えているだろうと、抗議の声を上げました。

この日は風が強くて、カヌー隊が戻るのをお手伝い。9日が大潮でもあり、潮の引きが早い為に3時間弱で引き上げ、ゲート前の送迎を手伝いました。この日の辺野古総合大学で(5日から30日まで17回開催されます)糸数隆さんの話しを聞きたかったのですが、ところどころしか聞けませんでした(ユーチューブで見れます)。

たまたま迎えに行った方と話しをしてみたら、「父の話を聞きに来ました」と言われ、娘さんとも話しができましたし、数多くの方々と会話が出来るのが送迎の楽しみにもなります。

さらに、私が東京から来ている事を話すと、感謝されると共に、遠くから来てもらっているのだから、自分達も頑張らねばと皆さんが言われますから、現地に行く事の意義を再認識させられます。

行く事により、勇気を与えられます。皆さん、もっと辺野古に行きましょう!

(以上)

2016年4月の派遣報告は以上です。引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。


2016年3月の派遣報告

3月は2名の仲間がゲート前行動と海上行動に参加しました。これまで延べ109名を辺野古に派遣しました。皆様のご支援ありがとうございます。

〈3月の派遣日程〉

  • 15日〜26日
  • 19日〜27日

以下Sさんの報告です。(女性 15日〜26日)

◎3月16日

16日。水曜行動で200人が座り込みに参加しました。

9時過ぎからは新ゲート前で、先日のホテルでの米兵による女性への性的暴行事件への抗議を行いました。15日にも抗議した時、米兵が車の中から中指を立てて笑ってばかにしたので、あまりの態度に一人のメンバーが、抗議しようと車に駆け寄ったら、基地の黄色のラインを越えたとして逮捕されてしまいました。

今日は、事件への抗議と逮捕された仲間を返せとの要求で、みんな怒り心頭です。すると例によって「道路で立ち止まる行為は・・・」という名護署のアナウンスをしつこくやりはじめました。リーダーもさすがに怒って「当然の抗議集会さえ邪魔するなら、道路に広がって抗議するぞ。米軍の車両を全部止めるぞ」と宣言し、みんなに指示して、道路の真ん中に一列に並んで、抗議しました。警察もまずいと思ったのか その後は静かに見守っていました。スピーチや歌でしっかり集会をやり通した後、リーダーが、抗議行動を警察が邪魔するなら、米軍車両を完全ストップするとアピールした訳です。

午後の最後は、全員前に出て、ゲート前名物のラインダンスにカチャーシーで賑やかに締めました。また、こんごの方針が発表されました。

和解の後、工事が止まっていることから、ゲート前行動は、17日までは 6時集合の早朝行動を続け、18日(金)からは9時開始で、政権の出方を見ることになりました。政権は、一連の裁判などが方がついたら、怒濤のように工事を強行しようとするでしょうから、こちらも本気で迎え撃たなければと思います。

◎3月17日

15日に逮捕された男性は 16日に「拘束する理由がない」という言い訳で釈放されました。それなら逮捕しないでよ!と思います。

そして今朝、工事ゲート前の集会でその人の逮捕初体験の報告を聞いていたその時に、新たに、新ゲートで抗議していた人が逮捕されてしまいました!

さっそくみんなでそっちのゲートに移動して、大抗議です。すると沖縄県警は引っ込んで、警視庁が前面に出て、乱暴な制圧をしてきたので、リーダーが指示して昨日のように道路の真ん中に一列に広がって(交通は邪魔しない)大抗議です。

「もし機動隊が排除に出るなら、米軍の車両を全部止めるぞ」と宣言し、にらみ合いました。例のアナウンスをしていた警察も最後は米軍の車両をダイインなどでストップされたら困るので、集会を容認しました。憲法で保証されている抗議集会さえ、沖縄では人数を集め、断固として後に引かない態度で向かわないとやりとげられないんです。

安倍政権は、工事中断で反対派の勢いをそぎ、(実際、いつものメンバーはみな疲れきっています)、再開の時には、反対派がよろよろしている間に、一気呵成に工事を進める可能性が大です。だからこそ、和解の状況の間に、どんな強行手段にも受けて立つ力をつけていく必要があります。

辺野古は常に流動的で、相手の出方も次々変わるし、こちらの作戦もあっという間に、「それアリなの!?」と変わることがあります。参加者は その場のリーダーの指示にしたがうとともに、各自で情報を収集し、一緒に考えながらやっていくことがとても大事なんだと思いました。

◎3月21日

抗議にすわりこむ人々

抗議にすわりこむ人々

今日は、海兵隊員による女性への性的暴行事件に対する抗議集会でした。たった4日間の準備期間にかかわらず、なんと2500人がゲート前に集まり、あまりの数に、機動隊も全く動けず、ただ基地の奥の方から眺めているだけでした。辺野古は那覇などの中心部からは遠いし、天気のよい休日なのに、これだけの人数が集まるということに、沖縄の底力を見る思いがしました。

いつもは、いくら山城さんが「機動隊にちょっかいをださないように」と注意しても、誰かしら、機動隊にくってかかったり、米兵の車両に接近して窓を叩きそうになったり、逮捕者をださないように整然と抗議するという方針が守られないことも多かったのですが、何回か練習し、またスタッフにミーティングで強調したことも効を奏したのか、今日は実にみごとに整然と集会をやり通すことができました。

今後、安倍政権は本気で沖縄を潰しにかかってくると思います。ゲート前行動は、いよいよ大変な闘いになるでしょう。現在の工事中断の一休みをどう有効に使っていけるのか、ゲート前行動は、正念場かなと思います。この期間に、去年テントで辺野古大学を実施しましたが、4月から辺野古大学第2段を行う案が実現しそうです。

みなさん、ぜひ辺野古に来て、今まで見えなかった闘いの本質とこれからの道を学んでいきませんか。

(以上)

2016年3月の派遣報告は以上です。引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。


2016年2月の派遣報告

2月は個人の派遣が8名、団体での派遣が20名で、合計28名の大所帯になりました。
これまで延べ107名を派遣しました。皆さまからの派遣カンパのおかげです。この場を借りてお礼申し上げます。

個人の派遣日程は下記のとおりです。

〈2月の派遣日程〉

  • 7日〜11日
  • 8日〜3月15日
  • 8日〜13日
  • 10日〜15日
  • 15日〜20日
  • 16日〜27日
  • 22日〜26日
  • 27日〜3月2日

団体の派遣日程は下記のとおりです。

〈2月の団体派遣日程〉

ここでは、両団体からのレポートをお送りします。

■反原発ジグザグ会のレポート

◎2月23日(火)のレポート(S)

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宿を朝5時半にレンタカーで出発、ゲート前に向かいます。天気は雨、この時間はまだ真っ暗で、夜の海を眺めながら、どうしても緊張は高まります。圧倒的と思える機動隊の暴力の前に身を投げ出して非暴力で闘うのです。怪我をするかもしれない、インネンつけられて不当逮捕されるかもしれないと思うと体が固くなります。ただ逃げ出すことのできない沖縄現地の人々への連帯の思いだけで勇気をふりしぼっていました。

午前6時すぎに現場につきますが、やはりまだ暗く、ただ基地のゲート内だけが煌々と明かりに照らされて、そこには雨煙の中で機動隊のバスが光っていました。おぼつかない足元を基地の明かりをたよりに座り込みテント前に集まると、そこで説明と打ち合わせがありました。それによると目の前のゲートは第二ゲートで、もう少し先に工事用の専用ゲートがあること、7時前には工事車両が入るであろうこと、雨の中で仲間がすでにその前に座り込んでおり、私たちもそこに合流して座り込むことが説明されました。注意点として、機動隊がゴボウ抜きにくるだろうが、私たちはあくまでも非暴力を貫くこと、今は怪我や逮捕をさけて、排除に対し強硬な抵抗はしないようにとのことでした。

工事用ゲートの前には機動隊のバスが歩道を塞いでいます。以前はちゃんと基地の敷地の中でゲートを塞いでいたのですが、ゲートの前にゲートを作るような形で歩道ギリギリまでバリケードを張り出し、さらにその外の歩道上に警察車を置いているのです。そんな警察車両を取り囲むように、あるいはわずかな隙間を見つけて座り込むわけですが、この日は車両に乗っていた警視庁の人間がアイドリングを続け、座り込んでいた人たちに排気ガスを浴びせるということをしました。こんなことをする警官は初めてだそうで警視庁は陰険だなと思わされます。

座り込むあたりからますます雨足が強まって、体は冷たく冷えてカッパ越しに服の中にまで雨が染みてきます。みんなでブルーシートをかぶって耐えていると、暗闇の中から機動隊が現れ、車両の隙間にいて周囲の様子が見えなかった私たちは、いつの間にか彼らに囲まれていました。ゴボウ抜きの排除が始まりますが、私たちは事前の確認通り、激しく抵抗することはせず、怪我をしないように体の力を抜いて、腕をねじられつつ3、4人がかりでゲート脇歩道の「檻」の中に連れて行かれます。

それでも精一杯の抗議と説得を大声で皆が行います。座り込みを排除しにきたのは沖縄県警のようでした。それで私は、県も市も、首長も議会もすべて私たち反対派の味方であること、民意に反し、民主主義に背いているのは君たち機動隊であること、県警は県民を守るべきで弾圧するのが仕事ではないはず、警官になった初心に帰るべきだろうと、できるだけ丁寧な言葉で訴えました。公平を期すために、そんな私たちの訴えを聞きながら排除する特に若い隊員たちは、比較的言葉使いも丁寧で、できるだけ反対派に怪我をさせないという配慮はあったように思えることを記しておきます。それともそれは、そう思いたいという私の悲しい願望だったでしょうか。

ところが排除される途中で道の反対側歩道を見ると、なんと背中に「警視庁」と大きく書かれた機動隊の部隊が、座り込みに参加していない人々を襲って、突き飛ばすなどの暴行を働いていました。道路の反対側にいたのは、高齢や体調などの関係で、座り込みに参加していなかったいわば「非戦闘員」です。それを狙って酷い弾圧を加えるとは、どこまで見下げ果てた部隊なのかと。一気に頭に血が上って怒りに震えてしまいました。

その後、機動隊の肩ごしに、工事車両(ダンプ3台だったと思う)に精一杯の抗議をあびせ、機動隊が基地内に引き上げると同時に私たちもテントに戻り、山城博治さんの司会でテント前集会を続けました。

山城さんに直に接したのは今回がはじめてでしたが、その司会ぶりはとても元気でユーモアもあり、何より「みんなの気持ちを代弁する」という意味で、私たちの思いをたくせる人のように思いました。そうでありながら抑えるべき時には納得の上でそのことをみんなに提起できる、一言でいってカリスマ性があるというのかな、首都圏にもこういう人がいたらいいなと思わされました。

テント前集会の前には私たちにも「よく来てくれた」と気さくに話しかけてくださり、しばらく歓談することができました。山城さんは「辺野古の闘いがすすむにつれ、全国からいろんな課題を闘ういろんな人が来てくれるようになった、その人達と交流するうちに、全国のいろいろな課題がこの辺野古に積もって、その結節点となっていく。原発やTPPもそうだし、そういうあらゆる闘いが結集した闘いとして辺野古は勝利していくんだ。そのことで辺野古は沖縄だけの問題でなく、全国の闘い、そして世界の闘いへと広がっていくんだ。これは闘いがはじまった当初では考えられなったことだ」と展望を語られていました。

集会では弁護団の方などの発言が続きましたが、そのうちに山城さんより「辺野古リレーのみんなが東京から20人でここに来てくれている」との紹介があると、テントからは「おーっ!」という声と拍手がおこり、私たちジグザグ会と直接行動(DA)のみんなが前に出て、再び拍手と共に紹介されます。DAの皆さんは一人づつ発言され、ジグザグ会は私が代表して挨拶させていただきました。自分がなぜ沖縄の問題に興味を持ち、どんな思いで沖縄まできたのかを話させていただき、テント内から「ありがとー!」の声もいただき、ありがたく嬉しかったしほっとしました。その後、沖縄タイムスと琉球新報の記者さんに取材され、翌日の沖縄タイムスには「本土から学生たちが支援に来た」とDAの学生たちが写真入りで紹介されました。

そのままテントで沖縄の方々と一日交流しつつ、テントで過ごしましたが、早朝以外に2回、計3回の作業車の出入りがあり、そのたびに私たちはゲート前に座り込んで排除されるの繰り返しでした。それなりに緊張して体力も使いますが、だんだんと度胸もついて、周囲を見渡す余裕も出てきます。名目上、辺野古の機動隊を指揮しているはずのマキシ中隊長(実際には東京から来た警視庁に牛耳られているようだ)の傍若無人ぶりは話に聞いてはいましたが、実際に見ると、その人を人とも思わないような態度には本当に腹がたちました。他の県警の隊員が仕事してやっている感じなのに対し、一人で感情むき出し、敵意全開で、なんというか大変に意地悪な感じです。

テントでの交流ですっかり沖縄の心に馴染んでいた私は、僭越かなと思わないでもありませんでしたが、気がつくと私は、ゲート内に大股で引き上げようとするマキシ中隊長に追いすがって「こ、この裏切り者ぉ!沖縄を裏切るのか!」と叫んでいました。マキシ中隊長はこわばった顔で憮然として去っていきました。その表情はかなりイライラしているようで、名前だけ責任を負わされ、実際は下請けのように使われ、精神的に憔悴しているようにも見えました。そのことに決して同情はしませんが、なにか同じ人間としては哀れに感じました。

◎2月24日のレポート(N)

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昨日は冷たい雨のなか座り込んで、暴力的に排除されて、刺激的な1日でしたが、今日はさらに刺激的でした。

今日、わがジグザグ会は、本隊がゲート前の行動に参加し、私は専業ドライバーとして、参加者の皆さんがトイレやクルマに行きたいときの足として1日を費やす決意を固めた。タクシー運転士としてのプロフェッショナルなPRIDEなど微塵もなかった。いくら運んでも一銭にもならないが、辺野古の現地闘争の役に立てる、そのことが喜びだった。

キャンプ・シュワブのゲート前からクルマやトイレまでは歩いたらかなりの距離がある。しかも小雨も降っている。たたかう仲間たちみんなの感謝の言葉は否応なく私のモチベーションをあげてくれた。でも、いろんな立場や地域から結集したいろんな個性の仲間たちとクルマの中でわずかな時間に交流できることが最高に楽しかった。

たくさんの人との出会いのなかで、いちばん印象に残った人が、沖縄の県内から参加してきた人だ。その人は政治とか関係なく生きてきたし、基地もいま在るものは在るので仕方ないと思って沖縄で生きてきたという。だが、辺野古に、大浦湾を埋め立てて、もうひとつ新しい基地を作るという。それだけは許せないと思ったのだ。どれだけ沖縄を差別するつもりなのか!怒りが沸き上がり、この行動に参加したのだと彼は言う。

「俺は、もう在るものはしょうがないとずっと思ってきたけど、ふざけるな、と思った」と彼は言った。

彼は現場までの送迎を終えて、あたたかい缶コーヒーをご馳走してくれた。ありがとう。名前もわからない沖縄の人よ!われわれジグザグ会は、定例合宿を、これからはいつも辺野古でやります。皆さんとともに体をはってたたかいます。食い物はうまいし(笑)

◎2月25日のレポート(Y)

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私は普段、毎日のようにノンストップで一時間泳いでいるので、海に落ちても泳ぐ覚悟で本日は抗議船に乗り、荒れて大揺れはしましたが落ちる事なく、無事に沖に戻りました。私が初めて沖縄に来てその形を面白く感じた珊瑚を破壊し、今まで見た他のどの海より綺麗な色の海を埋めたててしまう、その準備のための海の中に入れられたコンクリートブロックなどを、皆で見たりしました。

その後ゲートに戻り、座り込みをしましたが私自身、運動に深く関わった経験が無いので、初めてガタイのいい沢山の機動隊に囲まれただけでも大変な恐怖で怯え、他の人達はスクラムを組んで機動隊に抵抗していたり、現地のおばぁも力強く抵抗する中で、私は情けなく素早くスックと自分で立ち上がって逃げていました。

私が、沖縄に来て一番驚いた事は、ゲート近くの街の普通のコンビニの駐車場で、常に訓練の生々しい銃声が聞こえてくる事です。戦争で、人が人を殺す為の訓練の音が日常で聞こえてくるという事は恐ろしいです。他の日にも飛んでいる戦闘機を見たり騒音を聞き、小学校の近くに危険な基地があり、沖縄の人にとってどれだけ基地や米軍が身近な物なのかと言う事、自分が今まで本土に居て感じる事の出来なかった事実を肌で感じ、70%の基地を押し付けられている現実、もし自分の住む家の近くに基地があったら…という凡庸な想像が、とんでもない具体的な現実として目の前に迫ってきました。

どうすればいいのか全くわからないのですが、これを東京で伝えたいと言う気持ちで一杯になりました。

* * *

■直接行動(DA)のレポート

◎2月23日(火)のレポート

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午前6時からゲート前行動に参加しました。7時の資材搬入では土砂降りの雨の中100人ほどで座り込みました。機動隊の暴力について事前に話を聞き動画で観てもいましたが、実際に体験するのはやはり凄まじいものでした。お年寄りや女性も容赦なく引きずり、怒鳴り声で恫喝する。現場の機動隊の暴力は安倍政権による強引な基地建設と沖縄の米軍基地そのものの暴力性の目に見える現れであると思いました。

日中は雨も小止みになり、テント前で集会に参加しながら過ごしました。「歌って踊って、明るく楽しく!」の言葉通り、闘争の激しさを忘れさせるような時間でした。

その後2回、座り込みがあり、テントで夕食を振舞ってもらい、解散して宿に戻りました。

滞在の残りの一週間、闘い抜きたいと思います。基地建設は絶対阻止できる!と希望を貰いました。

◎2月24日(水)のレポート

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今日の午前中は、水曜行動として多くの人が朝早くから集まって来ました。まだ空が白んでくるような頃から、工事用ゲートはもちろん、新ゲートの方でも多くの方々が積極的に声をあげていました。それでも機動隊は抗議者を押しやり、次々通過していきます。

このとき、沖縄と東京の機動隊で態度に違いがあることに気づきました。やはり沖縄県警の一人一人と、県警としての意志が食い違っていることは多々あるのだと思い、こうした個人というものをなくす制服という存在そのものが問題なのだと感じました。

そんな応酬をしている間も参加者はどんどん増えていき、500から700名(沖縄タイムス紙推計)が工事用ゲートに来て座り込みをしました。これは水曜行動を始めてから3番目に多い数字とのことです。こうも多くの人が座り込むともはや機動隊は手出しできず、端から諦めて工事車両は来ません。

そして、今回の実りあると感じた場面は、第二・第三ゲートへの行進です。第二ゲートは、弾薬庫の出入り口であり、ここから世界へ降り注ぐ爆弾が搬入出されていくようです。沖縄での抑圧は、日本全国の税制、弾圧、動員や監視と紛れもなく連携しているという点で日本全体の問題なのだと言われがちです。まさしくこれも真実ですが、それだけでなく、世界中の問題なのだという発言が印象的でした。

基地工事への抗議は単純に日本政府の収奪的で朝貢的な態度への抗議である以上に、アメリカの世界戦略に基づく白色革命の輸出の現場を取り押さえることでもあるのだということを確認し、その意味で本土や沖縄と中東は地続きなのだと認識を新たにしました。

平和を守ろうという声はありますが、すでに戦争状態は始まっていて、アメリカの世界戦略の手先として日本があり、またさらに人民の力の弱い国際諸地域からの収奪で日本の暮らしが成り立っているという、加害者でもあり被害者でもある日本・東アジア人民のおかれた二重の当事者性にある矛盾の集中点こそが、この辺野古であり沖縄だということを、ゲートの向こうでうごめく米兵や日本の官憲を眺めながら考えていました。

第3ゲートはフェンスで封鎖されていて使われていませんが、埋め立ての土砂を運搬する橋を架ける計画があると暴かれました。この行進の途中、付近を通る車には徐行をお願いする場面がありましたが、むしろ車中から応援していただけることもあって、心強く感じました。

しかしこの行進の後、多くの人は小雨の中での強い抗議に疲れが見えはじめ、やがていつの間にか座り込みを続けている人は60人程度まで減ってしまいました。基地への怒りと島民の生活とが密接に結びついている証左でもありますが、しかし機動隊はこうした人々の日常に漬け込んで、虚をつき生コンタンクローリー3台をはじめ工事用車両を突破させました。このとき、この生コンは本体工事とは関係ないということで、座り込みもほどほどにこの突破を許してしまいました。

どちらにしても本体工事こそは止めていきたいという皆の気持ちはさらに強くなりました。

◎2月25日(木)のレポート

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朝7時の時点で座り込み参加者が200人。

毎週木曜日は参加者が結集する日なので工事車両の搬入を止めることがいつもはできるのですが、今日は朝7時から機動隊が180人以上で排除にやってきました。

ゲートに入っていった車両は乗用車が8台。

生コン車やトラックを入れるような大掛かりな工事でもないのに、いつも以上の人数を動員したのは、何度も車両搬入を阻止されると警察の面子が保てなくなることを恐れたためではないでしょうか。

乱闘服の機動隊とは別の、キャップを被りサングラスを掛けた警察官が、ゲート前に座り込む市民に対して乱暴な口調で怒鳴りながら掴みかかる場面がありました。

民意を無視した違法な工事に疑問を持つような隊員は配置替えされ、このような暴力的な人物ばかりが残っていくのだろうかと思いました。

ゲートの奥が見渡せる高台に登って観察していたら、警察とは別にゲートを警備しているアルソックの隊員が交代するところでした。彼らも集会を毎日見て市民のスピーチを聞いています。仕事で基地を警備する、仕事で基地の工事をする、そうした人たちも、複雑な思いを抱えている人が決して少なく無いのでしょう。分断を乗り越えるために私たちに何ができるのか、考えていかなければならないと、改めて思いました。

◎2月26日(金)のレポート

辺野古ゲート前抗議が本日で600日目を数えました。そんな節目の日に、この運動はなぜこれほどの長い間続けてこられたのかという理由の一端を垣間見ることができました。

今日は金曜日です。普段であれば工事車両がやってくる曜日ですが、朝から工事車両は現れませんでした。われわれを含めた抗議参加者たちは、車両が来ないならばと新ゲートに向かってデモ行進を行い、午前中はその新ゲート前での抗議を中心に闘うことに決めました。

機動隊と真正面から対峙し、しきりに退去を促すアナウンスが五月蝿く響く新ゲート前で、抗議参加者は一歩も引くことはありませんでした。歌を歌い、スピーチをかまし、機動隊が整列をはじめたら立ち上がり、ぐるぐると新ゲート前を往復する形で歩きながら抗議を行います。道路交通法に基づくと、動いている人々に警察は介入することができないため、苦虫を噛み潰したような顔でじっとしている機動隊を尻目に、われわれは歌い、叫び、基地建設への「否」を力強く徹底的に表現する。

結局機動隊の弾圧が行われることなく、新ゲート前での抗議行動は貫徹されました。その後、島ぐるみ会議のメンバーが加わり、より多くの参加者で行われた再度のデモ行進と抗議も同様に弾圧をはねのけ、午前中の行動は大成功のうちに終わりました。

「しなやかに、したたかに」。これは反基地闘争の中心メンバーの一人である山城博治さんがよく口にするスローガンです。今日の抗議はこの言葉がまさに体現されていました。決して堅苦しくなく、歌やスピーチ、太鼓の音と笑いを絶やすことなくしなやかに。一方で、機動隊の介入をひらりとかわす順法闘争をしたたかに。この二つの軸こそが、辺野古ゲート前抗議を600日も続けることを可能にしたのです。

工事車両が現れることなく終えられた本日の行動。その最後に、われわれ抗議参加者たちが高らかに歌い上げたのはネーネーズ「黄金の花」でした。

黄金で心を捨てないで
本当の花を咲かせてね

マネーゲームに目がくらみ、死を切り売りして利を得ようとする人々がいる。民衆を人と思わず、虫けらのように押しつぶそうとする人々がいる。

われわれはそんな人間たちに決して屈することなく、「本当の花」――喜びと笑いに根ざした生の肯定と、それを根こそぎにしてしまう基地と戦争への否をこれからも「しなやかに、したたかに」叫び続けていくだろう――そんなことを確信した2/26の辺野古でした。

◎2月27日(土)のレポート

今朝、新ゲート前にて抗議をするための諸準備を進めていたところ機動隊員2人程が車に乗り込みアイドリングを無意味に続け、我々一般市民に対して排気ガスでもって間接的に攻撃・挑発をはじめました。

この行為は抗議に参加する人々への健康被害をも生み出す可能性がありますから、その行為を我々は強く弾劾しました。それに彼ら機動隊員2人は恐れおののきエンジンを切ったものの、一切彼らから反省の言葉は出てきませんでした。

その彼らの横暴さは本当に許せるものではありません。故に抗議を継続していた所、我々の数をはるかに上回る増援の機動隊員100人以上が到着し、無抵抗な市民を圧倒的な暴力によって物理的に排除。そしてエンジンをつけたままの装甲車と機動隊員の壁によって市民を歩道に閉じ込めました。

その閉じ込められた環境も酷いものでした。装甲車の排ガスによって、多くの人が気分を悪くした他、公安警察の不当な盗撮行為、機動隊の無意味な暴力などが普通に行われていました。

彼ら機動隊はそのようなひどい環境に一般市民たる我々を監禁し続けているわけですから極めて許しがたい限りでした。

然しながらそのような中でこそ我々はその怒りを辺野古基地建設反対、機動隊等の横暴を許さないといった極めて強くかたい団結をつくりだせたような気がします。そして、その団結された力があれば機動隊がどんな暴力を使おうと、政府がどんな分断工作等のあくどい手を使えども我々は勝利できると強く確信しました。それを確信できたことは、今回辺野古へ来て一番嬉しいことでした。

そんな今日のエピソードでした。

◎2月28日(日)のレポート

午前中、私たちはカヌー教室に参加しました。

沖縄に到着してから、天候は曇り空と雨模様を繰り返していましたが、この日は快晴。強い日差しを受けて海や砂浜も輝く、まさに沖縄らしい天気で、現地の方も「今年一番の陽気」とおっしゃるほどでした。

第2テントで受付を済ませ、ウェットスーツに着替えて浜にむかいます。浜ではオールの漕ぎ方などカヌーの基本的な操作方法を教えていただきました。

カヌーは2人乗りで、息を合わせてオールを漕ぎます。初めは思わぬ方向に流されてしまったり悪戦苦闘しましたが、だんだんとコツをつかむと、自由に曲がったりスピードを出したりできるようになりました。次に辺野古を訪れるときには海上での即戦力になりたいものです。

私たちのほぼ全員がカヌー初体験であることから、沖に出てフロートの前で抗議するなどはしませんでした。しかし、このカヌー教室への参加は、那覇空港に降り立ってから宿とゲート前以外の場所にほとんど足を運んでいない私たちにとって、かけがえのない体験となりました。

エメラルドグリーンの海は遠浅で、波間を浮かびながら水底のごつごつした珊瑚を見る事ができます。砕けた珊瑚からなる砂浜は真っ白で、数歩歩くごとに小さなカニやヤドカリたちに出会います。

辺野古新基地建設が壊そうとしているのは、まさにそういったものです。ここにあるものはここにしかなく、ここにあるものを壊してしまったらもう二度と元には戻らないのです。絶対に、この美しい辺野古の海を埋め立てさせてはならない。このカヌー体験を通して改めて強く決意しました。

(以上)

2016年2月の派遣報告は以上です。引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。


2016年1月の派遣報告

1月は7名の仲間がゲート前行動と海上行動に参加しました。これまで延べ79名を辺野古に派遣しました。皆様のご支援ありがとうございます。

〈1月の派遣日程〉

  • 4日〜31日
  • 8日〜12日
  • 14日〜25日
  • 18日〜24日
  • 19日〜23日
  • 19日〜31日
  • 30日〜(2月4日)

以下、Oさん(女性、4日〜31日)の報告です。

報告:Oさん

ここに来て いろんな人の話を聞き、実際に起きていることを生で見ました。受け入れがたい現実に 納得するまでじっくりじっくり向き合い、考えました。

辺野古に行く前 辺野古に関するネットの情報を どれが本当か分からず、全てを偽物だと疑っていました。

例えば、カヌー隊のメンバーが海保に沈められてる動画がSNSで回ってきたときも コメント欄に 「やらせ」「自作自演」と書いてあり、もしかするとそうなのかもしれないと、その言葉を少し信じていたのです。

しかし、辺野古に来て、その動画が「やらせ」でも「自作自演」でもなく、本当に海保に暴力を振るわれていたこと、ネトウヨと呼ばれる人たちの間違った情報がネットでたくさん出回っているということ、そして 自分がまんまとその情報に惑わされていたということを、知ることになりました。

SNSに書き込まれているネトウヨのコメントを信じた方、一度辺野古に行ってみてください。あるいは、実際に海に出ている人や座り込みに参加している人とコンタクトをとってみてください。すぐに誰が正しいことを伝えているかがわかります。

◎1月10日

今日の海にはとてもじゃないけど「保安官だなんて信じられない」って人がいました。
フロートの中に入って、抗議をしにいったカヌー隊をわざと転覆させたんです。もちろん 海のみんなはカンカン。だって転覆って、命にかかわるとっても危ないことだから。
わたしの乗った船は 抗議するためにフロートを越えました。そしたら近くにいた海保のボートがいきなり強く衝突してきました。船長は大激怒。海保を引きずりおろして やや乱暴に抗議。いくら仲間でも私はこのやり方はまずいんじゃないか、これじゃあ暴力的な海保と一緒だもんと思いましたが、この後船長は謝って海保と和解の握手をしていました。さすが船長です。
今日は他にも印象的なこと、考えさせられることがありました。
船長とやり合った海保がサングラスを外した時にきらきら綺麗な目のとても若い男の人だったんです。たぶん取っ組み合いをしてた船長(22歳)と同じかそれよりも下なんじゃないかな。もしかしたら私(19歳)と同い年かも知れない。「どうして海保に入ったんだろう。人を助けたくて入ったのかな。海が好きだからかな。そうだとしたらいまの気持ちはどうなんだろう。辛いのかな。ここにできるのは基地、人殺しを肯定する建物。海を壊して建てられる。そしてその為に無抵抗で抗議する人たち排除している。仲間の海保がカヌーを転覆させたりしている。そういう仕事をしてるなんて・・・。」と考えてしまいました。

◎1月12日

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初めてのごぼう抜き。
飛びかう罵声と機動隊の鋭い目線や伸びてくる腕がたまらなく怖くて 柵の中では涙を堪えるので精いっぱいだった。
止められなかった作業の車を見て悔しいと思う余裕もなくて 四方八方 ギラギラしてる目に囲まれて(本当にギラギラしてるの。この前の海保の人の目はキラキラ綺麗だったのに。)
はやくここから出たかった。迷子になったみたいに不安だった。でも 檻から出してもらえないからとりあえず涙をこらえてつったてた。

ごぼう抜き1回目はジェットコースターの終わりが見えない感じ。恐怖しかなかった。
ただ抗議をする人をバカにしたようににやにや笑いながら見つめるその目はとても気持ちが悪かった。口元も歪んでて嫌だった。

◎1月16日

奥に見えるのは、延々と続くフロートと ボーリング調査をしている作業船。とても綺麗な海に似合わないものたち。

奥に見えるのは、延々と続くフロートと ボーリング調査をしている作業船。とても綺麗な海に似合わないものたち。

陸で行われている座り込みにも、お芝居と同じように 裏方がいる。
例えば、辺野古のゲート前から離れたところに 張り付いていて工事車両がゲート前に向ったことを電話で本部に知らせるのだ。
その知らせは本部からゲート前の人々に伝えられ、10分ほどの、心や身だしなみの準備時間となり わたしたちは万全なる余裕を持って機隊に挑むことができるのだ。
もしも わたしたちにその知らせがなければ、四六時中、それも美味しいお弁当を食べている時だって 工事車両を阻止するために気を配り続けなければならなかっただろう、いきなり現れる100人以上もの 強面な きっと涙も知らない機動隊を前に 恐怖で心がいっぱいになっていただろう。

昨日は辺野古でできた友だちに セメント会社近くでの張り込みに一緒に連れていってもらった。いつ出て来るか分からないから ずっとそこで待機しなければならない。(結局私たちが見張ってる最中にミキサー車が辺野古に向かうことはなかった。)
これがなかなかにしんどい。おしゃべりも途切れ途切れ、だんだん眠くなってくるのだ。

しかし、人の演説や歌を聴き学ぶことはできなくても ここにぽつんといることで、わたしは考えることができた。
例えば、辺野古と関係ない所だと、あっちではスマホのゲームに夢中の人がいて そっちには 恋人と手をつないで嬉しそうな人がいる。なのに、どうしてわたしがここにぽつりと 何もせず外を見つめているのか。どうしてわたしが楽しくもないことで時間を過ごしているのか。
それは、そこに基地があるからだ。
私がここにいることは自己選択 自己責任だろうと 思われるかもしれない。自ら楽しくないことを選び、結果、瞼が重くなっているだけじゃないかと。
いやちがう。 そこに基地が作られなければ、わたしはそれを選択しなくてもよかったのだ。
それでもなお 作られるとしてもそれを選択しないとしたら、わたしは 人殺しの建物を容認したことになってしまう。

◎1月22日

ブロックをつむ。ブロックに鎖を巻く。

ブロックをつむ。ブロックに鎖を巻く。

午後4:00完成。4:30には機動隊がやってきて、オブジェを解体していく。

午後4:00完成。4:30には機動隊がやってきて、オブジェを解体していく。

「崩れ行く安倍政権」

「崩れ行く安倍政権」

機動隊に切られた鎖と鍵。

機動隊に切られた鎖と鍵。

少しでも工事車両が入るのを遅らせようと、みんなで コンクリートブロックや木の板を乱雑に積んで、ゲート前にブロックの山を作りました。
いつしか 単なるブロックの山ではなくなり、みんなの中で 平和の象徴のようなオブジェになり、名前もつきました。その名も「崩れ行く安倍政権」

いつもは ひょいひょいと、いとも簡単に 人びとを檻に押し込めることのできる機動隊も、重たいコンクリートブロックを移動するのは、なかなか大変だったようで、今日のごぼう抜きには いつもより 結構な時間をかけていました。

◎1月29日

午前中は 第2ゲームで 米軍車両の邪魔にならないように座りこみ。

午前中は 第2ゲームで 米軍車両の邪魔にならないように座りこみ。

1000個以上のブロック。アートブロックが増えてきました。

1000個以上のブロック。アートブロックが増えてきました。

工事用ゲートに1000個以上のブロックを積み上げました。
もし、機動隊が工事車両を入らせるために このブロックを移動させたら、私たちは第2ゲートに座り込み ここに1000個以上のブロックを積むのです。

しかし そんなことはアメリカが許しません。
ここ 第2ゲートは 弾薬庫につながる入り口です。
ここを封鎖されることを アメリカは嬉しく思いません。それもそのはずです。
彼らは戦争をするために ここにいるのですから。武器を外に持ち出せなければ 人を殺せないのですから。

今日 ここにいるのは50人程度ですが、完全に 工事を止めることができています。

(以上)

2016年1月の派遣報告は以上です。引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。


2015年12月の派遣報告

12月は9名の仲間がゲート前行動と海上行動に参加しました。これまで延べ72名を辺野古に派遣しました。皆様のご支援ありがとうございます。

〈12月の派遣日程〉

  • 5日〜1月末
  • 6日〜11日
  • 16日〜21日
  • 16日〜23日
  • 19日〜23日
  • 23日〜27日
  • 24日〜1月1日
  • 24日〜1月7日
  • 29日〜1月1日

以下、Nさん(女性、12月24日〜1月1日)からの海上行動の報告です。

報告:Nさん

◎12月25日

辺野古崎から作業台船を監視。大潮で干潮時刻に近づいていたので岩肌がどんどん姿を見せ始めた

辺野古崎から作業台船を監視。大潮で干潮時刻に近づいていたので岩肌がどんどん姿を見せ始めた

タイミングを見て、カヌーを下り、岩の上を歩いてフロートを越えた。陸からはアルソック、海では防衛局のゴムボートが「警告」を繰り返していた

タイミングを見て、カヌーを下り、岩の上を歩いてフロートを越えた。陸からはアルソック、海では防衛局のゴムボートが「警告」を繰り返していた

フロートの端がこんな風に無防備になっている箇所も

フロートの端がこんな風に無防備になっている箇所も

カヌーメンバーが岩場でヒトデを発見!

カヌーメンバーが岩場でヒトデを発見!

25日の海上行動は、船が3艇、カヌーが5艇(+教室が先生含めて4人)でした。この間、カヌーメンバーが少ない状態が続いているとのことで、24日は8艇、前23日は4艇だったそうです。何はともあれ、今日は朝から断続的な雨が続く中、船とカヌーで分かれて監視行動でした。カヌーチームは辺野古崎から陸上の様子と遠目に長島付近の台船の様子の監視を続けました。船団の報告によると、台船に作業員は見えたけれど、どんな作業がされているのかはよくわからず。また、弾薬庫近くのコンクリートブロックを載せた台船周りのフロートを片付ける作業が進んでいて、年末年始休みで片付ける準備なのか、まだ一動きあるのか、様子を見ないとわからない、という感じです。

ちなみに、今日は大潮で昼が干潮だったので、カヌーチームは、監視行動の途中で様子を見て、岩場を歩いて「フロート越え」しました。海保は遠巻きに眺めているだけだったので(台船までは相当距離があるため問題ないと判断したもよう)岩場を探索しました。お天気は良くなかったのですが、青いきれいな魚が泳いでいるのに遭遇したり、メンバーがヒトデを見つけたり。

ODBと陸側のアルソックは、「フロート内に入るのは危険です。ただちに退去してください」というお決まりの文句を繰り返していましたが、色んな生き物たちの棲み処に勝手にこんなフロート張っている国側にとっとと退去してほしいと、改めて思わずにいられませんでした。

天候が悪くなりそうということで、昼前には辺野古に戻りました。

年明けからカヌーに参加できる仲間を一人でも増やしたいので、辺野古リレーをはじめ東京でも海上行動に参加できる仲間がもっともっと増えるといいな!と思います。

◎12月26日

この日の海保はまったく話に反応せず、目も合わせない人ばかり

この日の海保はまったく話に反応せず、目も合わせない人ばかり

カヌーチームと船団みんなで抗議。この後、時間を決めてフロートを越えていく

カヌーチームと船団みんなで抗議。この後、時間を決めてフロートを越えていく

台船に向かって抗議を続けるが、マリンセキュリティがとにかくうるさく「警告」しつづけてくる

台船に向かって抗議を続けるが、マリンセキュリティがとにかくうるさく「警告」しつづけてくる

この日は快晴。長島から何重にも張り巡らされたフロートとオイルフェンスは、大浦湾に似合わない。

この日は快晴。長島から何重にも張り巡らされたフロートとオイルフェンスは、大浦湾に似合わない。

26日の海上行動の報告です。

年内最後の土曜日ということで、カヌーメンバー・船長さんともに沢山集まって、カヌーは抗議班も含めて14艇(+教室7人)、船は平和丸、不屈、ぶるーの船が海に出ました。

お天気もよかったので、大浦側の長島付近にある台船付近で監視、そして抗議の声をあげました。台船の上の作業員に対して違法な作業を止めること、海保やマリンセキュリティに対してもメンバーそれぞれの言葉で語りかけつづけました。

時間を決めて、(抗議班以外の)10艇のカヌーでオイルフェンスを越えました。船団もフロート沿いにいてずっと監視して「全部撮影してるぞー!」などと常に声をあげてくれていたので、ものすごく暴力的な確保はありませんでしたが、GBから海保が飛びこみ、一人ずつがカヌーのへりにぶら下がる形で拘束されました。でも中には転覆させられたり、海保がカヌーに乗り込んできて向かい合う形になったり(!)したメンバーもいたみたいです。そしてGBによって辺野古の松田ぬ浜まで戻されました…が、なんとカヌーメンバーの一人Tさんがみんなが拘束されている間に一度オイルフェンスの外に出て、時間差でもう一度中に入っていたため、わたしたちが浜に着いてからもまだオイルフェンスの中にいたとのこと
が無線でわかりました!Tさん、すごい…!!もちろん最終的にはGBに拘束されて、後から浜に連れられてきましたが。

また、船長さんの話では、不屈はGB14に思いっきり体当たりされたそうです。皆で猛烈に抗議したけれど、当のGBは逃げたらしいです。

午後はカヌー4艇だけで、再度台船の近くのフロートまで行って監視行動をしました。さすがにGBはもう2艇しか残っていませんでしたが、マリンセキュリティがひたすらいつもの警告を繰り返していました。もちろんめげずに監視していましたが、やはりボーリング調査は夕方まで続けられていました。

夜は海上行動を中心とした忘年会でした。ゲート前しんかから何人かの方も含めてたくさんの人が参加して、それぞれの思いを語り、コンクリートブロックの投下から本当に色々あった一年だったけれど、とにかく来年こそは新基地建設を止めよう!とみんなで誓った夜でした。

◎12月27日

日曜朝のゲート前。この日は、稲嶺市長も駆けつけて熱いスピーチ

日曜朝のゲート前。この日は、稲嶺市長も駆けつけて熱いスピーチ

日曜日ですが、ゲート前座り込みに集まった方たちで集会をしています。

◎12月28日

海上行動最終日。2つあったクレーン付き台船のうち1つはすでに移動していたが、掘削棒だけが突き刺さったまま残っていた

海上行動最終日。2つあったクレーン付き台船のうち1つはすでに移動していたが、掘削棒だけが突き刺さったまま残っていた

台船の移動のためか、フロートも一部撤去されており、その分も海保のゴムボートが厳重に警戒していた

台船の移動のためか、フロートも一部撤去されており、その分も海保のゴムボートが厳重に警戒していた

作業台船に作業員の姿が確認できなかったため、こちらのクレーン付き台船に抗議に向かうことに

作業台船に作業員の姿が確認できなかったため、こちらのクレーン付き台船に抗議に向かうことに

この後、台船に向かうカヌーメンバーが次々と海保のゴムボートに拘束された

この後、台船に向かうカヌーメンバーが次々と海保のゴムボートに拘束された

昨夜から冷たい雨が断続的に続いている今日、ゲート前も海上も年内最後の行動日となっています。

朝のミーティングの時点で雨が結構強かったので、まずは船団が海の様子を確認した後、最終的に、平和丸、不屈、ぶるーの船、カヌー13艇で大浦湾に向かいました。

昨日の段階で長島沖にあった2つのクレーン付き台船のうち1つが弾薬庫下の方に移動していることが確認できていました。ですが、もうひとつの台船とスパット台船はまだ残っているので、その監視に向かいました。スパット台船の方には作業員の姿がなかったため、時間を決めてクレーン付き台船の方に抗議することに決まり、カヌーと船で一斉に動きました。ですが、例によって海保が臨時制限区域の警告をしてきた後、メンバーが次々と拘束されてしまいました。

わたしが拘束されて乗せられたGBでは、先に拘束されたメンバーが乗せられる時に少し抵抗したので少し手荒な真似を受ける場面もあったようですが、乗っていた海保は人間的な会話ができる人が多い印象でした。特に一人のうちなーんちゅのおじさんと色々な話ができました。どこから来たのか?とか、最初は誘導的な質問かと少し警戒しましたが、こちらもダメ元で色々聞いてみたら素直に答えてくれて、辺野古の浜に戻るまでにたっぷりゆんたくできました。「自分の立場では基地に賛成か反対かは答えられないよ」と言いながらも、昔よくもぐったという沖縄の海のことを話してくれたり、今度は仕事で尖閣に行かなきゃいけないんだって話もしてました。くにがみで向かって、向こうに二週間くらいいるそ
うです。11管区ばかりがいそがしいんだ、と苦笑いしていました。

浜に戻っても冷たい雨が続いており、作業も進んでいないということで、今日の海上行動は午前中で終了となりました。

作業に非暴力で抗議するわたしたち市民を妨害することで、彼らが新基地建設に荷担していることは紛れもない事実だけれど、海保の中にも色んな人たちがいることもまた事実。それを改めて感じました。ものすごく暴力的な人もいれば、今日みたいに話ができる人もいる。だから海保にこんな仕事をさせている日本政府を止めねば…、改めてそう思いました。

(以上)

2015年12月の派遣報告は以上です。引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。


2015年11月の派遣報告

今月は男女6名の仲間がゲート前の座り込みや海上での抗議行動に参加しました。(これまでで延べ63名が辺野古の座り込みに参加しました。)
皆様からのカンパのおかげです。ご支援ありがとうございました!

〈11月の派遣日程〉

  • 11月7日〜11月29日→Kさん(男性)
  • 11月10日〜11月18日→Sさん(女性)
  • 11月14日〜11月19日→Tさん(男性)
  • 11月17日〜11月21日→Tさん(男性)
  • 11月18日〜11月23日→Kさん(女性)
  • 11月22日〜11月27日→Sさん(女性)

以下、Sさん(女性)の派遣報告です。

報告:Sさん

浜のフェンスに取り付けたバナー

浜のフェンスに取り付けたバナー

◎11月10日
朝、カヌー隊のメンバーに同乗させてもらい、第2テントへ。
同宿の女性は、もう40回以上、沖縄に通っていて、その半分は友達や知り合いを誘って来ているとのこと。私も、いつか友達を誘って、観光の中での1日でいいから、辺野古のゲート前や、カヌー隊の様子を見てもらおうと、強く思いました。
各地から送られたバナーを基地のフェンスに取り付けた後、砂浜を歩くと、なんとたくさんのヤドカリの足跡が。ほんとにか細い足跡や、嘘みたいにでっかい足跡も。
大浦湾が生物の宝庫と言われていますが、生き物の気配って、いいですね。
昼は、漁協の港のゴミ拾いに参加しました。映画「標的の村」でも、漁協との対立が見られましたが、今は駐車場を使わせてもらえるなど、現地の人たちとの関係をよくしていくために、努力しているのがわかります。本土から行く私たちも、反対行動のメンバーが、現地の人たちに迷惑をかけたり、批判されるような言動をしたりしないように、十分気をつけたいと思いました。

早朝行動でみる朝焼け

早朝行動でみる朝焼け

◎11月11日
4時半起きで行動に参加。統一行動ということで、450人がゲート前、第2ゲート、途中の両側の歩道に集まり、途中で工事車両の列の前に立ちはだかって車を止めました。
ゲート前では、座り込みの人たちを二重三重に機動隊が包囲して、次々に人々を排除していき、頑張って抵抗しても、とうとう真ん中の通路が開けられてしまいました。その隙間を機動隊員がどんどん両側に押し広げて、そこをアルソック(警備会社)が固めます。このまま、工事車両が通ってしまうのかという状態でしたが、そのできたスペースに、機動隊のスキを見てメンバーがなだれ込み、すっかりもとの状態に押し戻しました。機動隊は、また最初から排除にかかりましたが、途中で工事車両そのものをストップさせていたこともあったのか、とうとう機動隊に撤退命令が出ました。
ついに、座り込みで機動隊を打ち破ったのです。
リーダーが、「数が集まれば、工事を止めることができる。今日450人で止めることができた。警視庁が何人来ようと、1000人、2000人集まれば、基地建設を止めることができる。もっともっとたくさんの人を集めて、絶対に辺野古新基地は作らせない戦いを広げていこう」と宣言し、わっと、みんなの歓声があがりました。感動的な朝でした。
バスの運転手さんが、私が座り込みにきているとわかると、「大浦湾は埋め立てちゃだめだ。深い所は40mもある。よその県から動植物や微生物がもちこまれたらどんな影響がでるか。政府は何を考えているか。俺たちはこれまで、どれだけアメリカに嫌な思いをさせられてきたか。子供の頃憧れたネエネエが米兵の腕にぶら下がっているのを見て、どれだけくやしかったか。街の路地でレイプされてる現場を、見ないふりして通り過ぎる悔しさったらない」。最後に「明日も頑張って」と手を振ってくれました。

◎11月13日
座り込みは70人くらいで、機動隊は120人以上。乱暴な排除の仕方が目につく。殴る、思い切り腹部を圧迫する、など。カメラを構えて、「この男凶暴だ。ちゃんと撮っているからね」と、機動隊員の顔の真ん前で撮影しました。少人数だったので、あっという間に排除されて、悔しかったです。
地元のオバアに戦争のときの話を聞きました。日本兵に壕を追い出され、日中は窪地にかくれ、夜必死になって逃げた。たくさんの死体を見たが何も感じなくなっていた。
家はアメリカに焼かれ、親族25人が死んだ。収容所では、食料は自前。いろんなことでなんとか生き延びた。
オバアは、毎日のように朝からゲート前で太鼓を叩いています。

◎11月14日
今日は学生団体「シールズ琉球」が来るとかで、人数が多い。
機動隊の人数に余裕があるのか、ゲート前とは反対側の歩道にもずらりと機動隊員が並ぶ。一人一人の前に立ち、知らんぷりする隊員に語り掛ける。
「あなたは、今何のためにここにいるの? 私たちおばさんが何のためにこうやって座り込んでいるか、わかる?」
「沖縄のオジイやオバアがあなたたちにどかされても、どかされても、座り続けているのはどうしてか、わかる?」
「おばさん達は、あなたたちの未来のために座り込んでいるんだよ」
「私たちはもうすぐ死んでしまうけど、自分のためじゃなく、これからのあなたたちのために、命がけで座り込んでいるのよ」
「命令だからと、何も考えない、ロボットのようにならないで」
「私たちはあなたの敵じゃないよ。あなたたちが戦争に巻き込まれなように、おばさん達は行動を続けるからね」
「難しいかもしれないけど、自分で考えてね」
攻防の中で、一人が拘束され、みんなで「仲間を返せ」とコールを続ける。20分後に解放された。

◎11月16日
ゲート前70人。途中の車止め部隊30人。少ないながら、25分間、工事車両の進入を止める。こちらに対して機動隊が、多過ぎる。倍くらい。
アメリカのカリフォルニア州バークレー市議会が、辺野古新基地反対決議をあげた。すごく嬉しい。力づけられる。
夜、宜野座の島ぐるみ会議主催の映画と講演に行く。
政権がごり押しして、反対している人たちを諦めさせようとしているが、法的には、まだいくつものハードルがあり、阻止できるという見通しがもてた。

◎11月17日
今日は、こちら1人に機動隊2〜3人がつくという感じで、20分くらいで排除されてしまった。いつものことながら、人数がもっと集まれば、と悔しい思い。
テントでの集会では、沖縄からのハワイ移民の3〜4世の人たちの10人以上のグループが参加してくれた。今でも三線や沖縄民謡など、ちゃんと引き継がれていることに感動した。
今日も右翼がやかましくテント前を往復している。やがて、機動隊に追われて退散した。

(以上)

2015年11月の派遣報告は以上です。引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。


2015年10月の派遣報告

  • 9月28日〜10月16日→Yさん(男性)
  • 10月3日〜10月8日→Hさん(女性)
  • 10月9日〜10月18日→Tさん(男性)
  • 10月10日〜10月29日→Kさん(男性)
  • 10月18日〜10月30日→Yさん(女性)

今月は男女5名の仲間を派遣しました。ゲート前の座り込みや海上での抗議行動でがんばってくれました。それもこれも皆様からのカンパのおかげです。ご協力ありがとうございました!
(これまでで延べ57名が辺野古の座り込みに参加しました)

以下、9月28日〜10月16日にかけてゲート前に滞在したYさん(男性)のレポートです。

報告:Yさん

◎9月28日(月)〜10月16日(金)

台風後のゲート前はテント再建も手慣れた様子

台風後のゲート前はテント再建も手慣れた様子

ちょうど台風が沖縄を過ぎる頃、飛行機が飛べるか危ぶまれながらも無事到着。ゲート前のテントも台風に備えて骨組みだけの状態だった。翌朝はそのテントを再建する作業から始まった。自分は初めての経験であるが、みな手慣れたもの。2時間ほどで元の姿になり、昼には集会がいつものように行われていた。

到着したとき、二人の市民が警察に逮捕されていた。自分が滞在している間に、二人とも釈放された。そのうち一人は韓国から来た人だった。韓国ではかつて、警察による拷問の一形態としての性暴力事件がおき、それが社会問題化したとのこと。その結果として機動隊にも女性部隊が作られ、人々を排除する場合にも女性には女性が当たるようになっているそうだ。一方、日本の機動隊は男性ばかりである。そういった背景のなかで、辺野古のゲート前で、韓国の方の身重の奥さんが機動隊に排除されようとした。そのときに、強い怒りや恐怖を感じるのは必至であった。彼は警官を蹴った咎で逮捕されたが、間違ったことはしていないと、釈放後にも断言していた。奥さんも、日本の機動隊に対して感じた恐怖や、男女比の改善を訴えていきたいとのこと。頼もしいと共に、そうした事件から学んでこなかった日本の警察組織の遅れを感じざるを得ない。

機動隊が黙認するナンバープレートのない車両

機動隊が黙認するナンバープレートのない車両

「名護警察署から警告します。道路上に立ち塞がる行為は、道路交通法違反です。ただちに歩道上に戻りなさい。やむをえず、部隊をもって規制します。」米軍基地の中から、警察・機動隊は市民に向かっていつもこのように繰り返す。そして、座り込む市民を力ずくで排除していく。
ある朝、米軍の車両が一般道を通って基地に入ろうとしていた。その場にいた人達は異常に気付く。その車両の前方にあるべきナンバープレートが付いていないのだ(分かり辛いですが、写真の通り)。これは道路交通法違反である。乗っていたのは米兵らしき風貌の人物。市民はこの車をゲートの前で止めた。そして、いつも基地の中にいる機動隊に「この車を取り締まれ」と訴えた。少しして、機動隊がやってきた。するとあろうことか、市民を押し退けて、その車を基地内に導いた。取り締まりは、していない。

米兵が市民に路上で銃器をちらつかせる

米兵が市民に路上で銃器をちらつかせる

市民には許されない違法行為がある、それと同じ種類の米兵の違法行為を、日本の警察は幇助しているのだ。日本国は日本の人々を、日本の法を押さえ付ける、そして米兵は日本の法を犯しても裁かれることはない。人々が騒ごうが関係ない。米兵は日常的にそういった実感を覚えている。米兵によるレイプ事件も、米軍ヘリの墜落事件も、きっとこの延長上にある。露骨な「差別」がここにあった。米国の兵隊による日本国の差別、日本国の警察による沖縄の差別。こんなものは一刻も早くなくさないといけない。

以前、抗議する市民に対して、巨大な軍用車から銃口をちらつかせた米兵がいたという。威嚇である。それに対して市民は、米軍に強く抗議したという。その話を聞いてから、戦車や輸送車などが通るときに注意して様子を窺うようになった。写真は車に乗って運ばれる米兵と、その傍らにある銃。手をかけているのは単に落とさないためだろうか。戦車も、弾薬も、人殺しの道具がむき出しのまますぐそばを通っていく。

鳩山元総理がゲート前を訪問

鳩山元総理がゲート前を訪問

鳩山元総理がゲート前にやってきた、もう何度も来ているそうだ。「最低でも県外」を掲げ、しかし力及ばなかったことを謝罪する。そして座り込みの市民に応援の言葉を述べた。総理大臣経験者が市民運動にでてくることなどまずないそうだ。申し訳なさそうな表情の鳩山さんが、笑顔の文子おばあと握手していたのが印象に残った。

ミスターゲート前の復帰宣言

ミスターゲート前の復帰宣言

大病を患っていたミスターゲート前の復帰宣言にも立ち合う。写真は、抗がん剤で抜けた髪の毛がまた生えはじめたのを、帽子を脱いで報告する場面。この日以降、毎日のようにゲート前に来るようになった。三時間、四時間、日を重ねる毎にゲート前にいる時間が伸び、そしてマイクを握る時間も伸びてゆく。歌や踊りが大好きな彼が戻ると、ゲート前は突然華やかになる。先に来ていたリレーのメンバーが本土に戻るときも、歌って踊って送別会だ。

知事の「取り消し」にゲート前も歓喜!

知事の「取り消し」にゲート前も歓喜!

延期に延期を重ねた翁長県知事による基地建設工事の許可取消しも行われた。沖縄の民意が作り出した「勝利」である。歓喜の踊りが毎日のように繰り広げられた。そして、「許可のない中で工事をするのは違法だ、海上のフロートも、作業員も、海保も、機動隊も、工事をするために用意したものはみんな持って帰れ!」力強くそう訴えた。政府の猛攻から守るための運動から、違法な工事を強行する政府を攻め立てる運動へと切り替わった。違法状態であっても工事を強行してくる可能性はあると言われていたが、その心配はなかったようだ。

今回は比較的穏やかな時期だった。ゲート前で止めるべき工事車両はほとんどやってこなかった。天気はよく、昼はまだ少し暑く、夜は涼しいどころか寒い。その温度差にやられて風邪をひいている人もちらほら。
しかし、いろいろと大変になるのはこの後である。政府はすぐに行政不服審査請求の手続きをとる。本来これは民間人が行政に対して不服を申し立てるために用意された制度である。しかし、それを行政の側が、市民の意思を押しつぶすために使おうというのだから無茶苦茶である。形だけ合法であれば、手続きはどんなに無茶苦茶でも構わない、それが今の日本政府である。
辺野古で起きていることは常に心に置きながらも、本土でこそ、この無茶苦茶な政治を止めるために行動していく必要がある。日本中の悪意と怠慢こそが、この不当な差別構造や基地建設を支えている。いかに力強い民意と運動があっても、沖縄一県だけではこの工事は止められない。「辺野古のたたかいを全国へ」、そのことが試されている。

2015年10月の派遣報告は以上です。引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。


2015年9月の派遣報告

  • 9月20日〜26日→Mさん(女性)
  • 9月21日〜25日→Nさん(女性)
  • 9月22日〜27日→Tさん(男性)
  • 9月28日〜 →Yさん(男性)

今月は4名。これまで延べ52名が辺野古の座り込みに参加しました。カンパのご協力ありがとうございました。

以下、9月の派遣報告の記事です。

報告:Mさん

以下報告。
◎9月20日(日)

那覇を朝一番の高速バスに乗り、辺野古ゲート前に向かいました。

昨夜の右翼によるテント襲撃が気になり、早く着かないかと気持ちが焦りました。

8時30分ころに、最寄りの停留所に着くと、右翼がバス停で爆睡しており、かなり泥酔していたのが一目瞭然です。

ゲート前に着くと、名護署による現場検証が始まっていました。

ズタズタに切り裂かれたバナー、ひっくり返されたテーブルや椅子、放り投げられた自転車とかなり酷い状況でした。

10時30分ころに現場検証が終え、みんなで一斉に片付け、そしてTさんのトーカチお祝いと山城さんのおかえりなさいのお祝いの準備が始まりました。

11時30分にお祝いが始まり、最初に安次富さんから、昨夜の報告「今回の事件、泣き寝入りはしない!警察には被害届を提出し、3人が逮捕された。」と報告され、その場にいた皆も「よしっ!」「そうだ!」と拍手。

続けて、稲嶺市長から「辺野古だけではなく、高江でも厳しい中で皆、頑張っている。そういう多くの皆さんの団結の心の拠り所として頑張っていきましょう!」

糸数慶子参議院議員「雨にも負けず、安倍にも負けず、絶対に辺野古に基地をつくらせない!」と力強い言葉。

そして、いよいよ今日の主役であるお二人が入場し、場は一気に盛り上がりました。

Tのオジイはとっても嬉しそう、山城さんは感無量という表情をしていました。

まずはTのオジイより「こんな苦しみは二度と起こしてはならない!沖縄はあくまでも沖縄!植民地ではない!!」

そして山城さん

「この闘い、我々が必ず勝利する!長くなるであろうこの運動を最後まで、ともにゴール出来るように頑張ろう!まさに今、沖縄の歴史の中でも、これだけ感動を生むことはなかっただろう。」山城博治節は健在です。

「そんな装甲車で、おれたちの気持ちに壁をつくることは出来ない!!」この言葉に、国会前での弾圧を思い出し、ジーンとしてしまいました。

この日のお祝いに、500人も集まりました。大盛況でした。

◎9月21日(月)

早朝行動に参加しました。

6時すぎに、機動隊の装甲車が6台入りました。

工事用ゲートの前には、歩道にも関わらず、装甲車が2台違法駐車しているという状態がずっと続いているようです。そのうちの1台の車の底部分に有刺鉄線が張られているのを発見し、怒り心頭です。いったい何のために張られているのか?

7時すぎに機動隊が工事用ゲートに移動したので集合。今日はカッパにペンキを塗った人が最前列に座り込み、強制排除をさせない作戦でした。最初は機動隊も怯みましたが、次から次へと抜かれていきました。戻るにも、機動隊の数がはるかに多いため、ゲート前には戻れず、10数台の工事作業員が乗った車に入られてしまいました。

車が通過したあと、抗議する私たちの前に鉄柵を設ける機動隊に対し、この柵を片付けるよう抗議。私の横にいた女性は何度も何度も「沖縄県民に人権はあるのか?」と機動隊に問いかけていました。その言葉は、ずっと基地をおしつけていた私にも問いかけられているように感じました。

何度も柵を片付けるように交渉し、その柵を下げる時に言った中隊長の「柵を下げるので歩道側に下がってください」に対し、その場にいたみんなが「ここ歩道だろ!」と総ツッコミが入りました。

午前は、テントのKさんと買い物に行ったり、トイレ送迎に入りました。

トイレ送迎に入ると、色んな方とお話できるのが楽しみでもあります。

午後の集会には、沖縄市民会議と名護署にも立ち寄ってくれた島ぐるみ那覇が参加していました。

夕方には、テントを襲撃した右翼とは別の右翼が街宣車で何度も往復していました。

◎9月22日(火)

今日の早朝行動は二見トンネル付近へ行きました。

すでに10台の工事作業員の車が待機していたので、車列の前後に車を停めて出られないようにしました。

沖縄県警による、私たちの無断撮影に対し抗議しているうちに、機動隊を乗せた車が1台やってきて、工事作業員を乗せた車はゲート前へ向かいました。本当に不快極まりない!こんなことが毎日かと思うと憤死しそうです。

ゲート前に戻ると、仲間が一人逮捕されたとのことで、すぐに名護署へ向かい激励行動を開始しました。

先日から拘留されている仲間もまだ解放されておらず、連日して不当逮捕を行う名護署に猛烈抗議しました。

夜は瀬嵩の浜で行われた満月まつりに参加しました。

この瞬間も名護署で不当に拘束されている仲間のことも気になりつつ、瀬嵩青年会のエイサーにチムドンドンし、プンムルを披露してくれたトヌムの演奏に、魂が震えました。

◎9月23日(水)

今日の早朝行動には県議員団も参加しました。

今日も、10台くらいの工事作業員の車に入られましたが、近づいている台風対策の作業だろうとのことでした。

早朝行動終了後、名護署に行くチームとテントに残るチームに分かれ、私はテントに残り、テント内の片付けや洗い物などの雑務をしつつ、集会にも参加したりして、穏やかに過ごしました。

◎9月24日(木)

早朝行動に参加。今日はいつもの時間には作業員の車が入りませんでしたが、不意をついて9時30分ころに入ったようでした。この時間には名護署での激励行動に向かった人も多かったため、人数が少なくなるのを見計らったようです。くやしい。

今日は一日ずっと名護署前での激励行動に参加しました。

島ぐるみのバスも、うるま・那覇・西原が名護署前に集結し、かなり規模の大きな激励行動になりました。

日本語、朝鮮語、英語を交えての激励でした。

◎9月25日(金)

早朝行動に参加。今日もいつもの時間には入りませんでした。

工事用ゲート前では、みんなで歌を歌って過ごしました。昨日9時30分に入られたことに警戒し、数人が工事用ゲート前に残りましたが、9時10分すぎに作業者の車に入られてしまいました。

今日も名護署にて激励行動。今日は「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」の皆さんが集結し、「WE SHALL OVERCOME」や「沖縄を返せ」などを歌って激励しました。

今日は海上抗議も休みになったとのことで、辺野古ブルーのメンバーも大勢駆けつけてくれました。

この日は、不当拘留されている韓国の方の家族が面会でき、名護署前に集まったみんなに報告がありました。

みんなの声や歌は聞こえているとのこと、本人は、自分を逮捕した警察官は命令されてやっている。決して彼らが悪いわけではない。ともに平和になれるよう、警察官のためにも祈っている。とのことでした。

◎9月26日(土)

早朝行動に参加。今日は新ゲート前で抗議。

抗議行動中、工事用ゲート前で名護市議の大城敬人さんが車道に倒れているとの一報が入り、救急車で搬送されるという事態になりました。大城さんとは、東京の安保法案反対運動のこと、沖縄の長い長い闘いのことをお話したこともあり、持病もあるということで、とても心配です。

何よりも、意識が朦朧としている人を、車道の真ん中に横たわらせるという対応はあまりにも酷い!新ゲート側に戻ってきた機動隊に猛抗議をしました。

もう感覚がマヒしてしまっているのか?談笑さえしている機動隊員には本当に腹が立ちました。自分のおじいやおばあに同じ事ができるのか?

その後、名護署での激励行動に参加し、台風が近づいているため、予定を一日繰り上げて、後ろ髪をひかれながら帰路につきました。

報告:Tさん

※Tさんの報告は「Tさんのすわりこみ日記」にて好評連載中です!

2015年9月の派遣報告は以上です。引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。


歌あり踊りありの「不屈の座り込み」

報告:40前後の男性(千葉県)

新ゲート朝の座込み

旧ゲート前座り込み

辺野古テント

浜でカヌーチームと交歓

名護市役所前での集会

1〜2月にかけ1ヶ月、座り込みに参加しました。

ゲート前に常設テントをはり、24時間体制で搬入阻止の座り込みをしています。夏から半年に渡り、いい大人が酒も飲まずがんばっています。トレーラー、ダンプを押し返しています。「ミスターゲート前」=山城博治さんは、テントで寝泊まりし、ゲート前の行動を指揮しています。皆、体調を心配しています。博治さんは、ゲート前では最初、デモもできない雰囲気だったが、人々の結集によって切り開いてきた、と話していました。

名護市議の翁長久美子さんは毎日テントに泊まり込みで、がんばっています。ネット呼びかけで、毎日カンパ物資の段ボールが届いていました。Eさんは、テントでゴミが多く出ることについて、「基地反対運動もゴミを出さない運動にしないとだめよ」と苦情を言っていました。

◎1月25日
国会包囲行動が行われ、辺野古ゲート前でも手をつないでシュプレヒコール&ウェーブをしました。

平安座島出身の女性は、離島の人々の悲願であった本島とつなぐ道路(海中道路)と抱き合わせで石油基地が作られた歴史を話してくれた。海がぐちゃぐちゃに荒らされてしまったという。ヤマトから沖縄を見る目と本島から離島を見る目が相似していると、話していた。

夜間の搬入警戒で、南北の要所に見張りを立て、ゲート前には電話番を置いた。毎晩、打ち合わせを行った後、ゲート前で歌い、踊りの集会を行った。

カヌーチーム(現・辺野古ぶるー)は日曜は休んでいる。沖縄防衛局はブロックを落とす作業を土曜に休んでおいて、日曜に行った。こそ泥的な汚いやり方だ。その日(2月1日)は抗議船が出ていたので、船からと浜から、弾劾の声を叩きつけた。

◎2月9日
私はテントで寝ていたが、3〜4時頃、キャンプシュワブでドーン、ドーンと音が響いた。爆破訓練だという。辺野古の人々は目が覚めて、寝られなくなってしまったそうだ。なぜわざわざ深夜にやるのか。

名護市の建設会社&商店「かねひで」の会長が、ゲート前で挨拶。「米軍の仕事は今後請けない。ただし、解体工事は請けます」と力強く宣言。

読谷のお母さんは、村長に手紙を書き手渡し、読谷村からゲート前へのバ ス運行の開始につなげました。博治さんは読谷のゴッドマザーとたたえていました。読谷村では座り込みなど粘り強い運動で、補助飛行場の返還をかちとった歴史があり、辺野古の座り込みに勇気と確信を与えてくれました。

安次富さん、博治さんを中心とした不屈の座り込みにより、島ぐるみ闘争が盛り上がりつつあります。私たちも、この闘いを勝利まで支え抜こう。

ぜひ皆さん、座り込みに行きましょう。ゲート前で、浜で、海上で、歌あり楽器あり、多彩な闘いがあります。歌える人は歌を。踊れる人は踊りを。何ももたない人も。駆けつけよう。

※2月1日にはイスラム国のネット動画で、後藤さんが殺されたことが判明し、安倍は「非道卑劣なテロ行為を、断じて許さない」と話した。辺野古に対してテロ行為をやっている安倍が言うセリフではない!


現地の闘いから学ぶ「絶対止める決意」と「社会全体の再構成」

報告:30代男性(東京都)

2014年は8月と11月に沖縄辺野古の闘いに参加し、主にゲート前抗議行動をお手伝いしてきました。大変遅くなりましたが座り込み報告です。

すでに多くの人が報告しているように、一番感じたのは日本政府の暴力の凄まじさと、海上とゲート前での阻止行動の力強さです。自分が参加した8月は工事開始に突き当たり、海保の暴力をまざまざと見せられ、自分が乗せてもらった船にも海保が乗り込んで「拿捕」してきました。目の前ではカヌー隊が海保に次々と拘束されました。

しかし現地の人々は負けずに毎日毎日海上にカヌーで繰り出し、工事を本当に阻止しました。ゲート前では土砂を詰んだトラックを体を張って止め、車道の真ん中に全員で座り込んで工事も排除もさせない事に成功していました。その本気さと行動の仕方を学べました。参加者の発言は沖縄戦や長年の基地被害への怒りに裏打ちされた濃く深いものばかりで、それを聞けたことも大きな財産です。そして抗議の合間に歌を歌い、肩を組み、楽しみながらつながりを強めているのです。沖縄に基地を押し付ける「本土」側の責任として現地闘争にも参加し、これらのことを体験して持ち帰り、さらに行動していく気持ちが高まることが、現地に参加する大きな意義だと思います。

もう一つ、大きな意義があります。

こうした運動の上に翁長新知事誕生に続き、全国で自民党が議席を維持した衆議院選挙で、沖縄は自民党を鮮やかに全敗させました。それは何より米軍新基地建設の凄まじい暴力に県民の人々が怒ったからです。

「本土」では「オール沖縄のような統一戦線を」と盛んに言われましたが、「オール沖縄」とされるものは単なる選挙協力戦術ではない。政治・経済・文化の全領域で「今までとは違うもの」を求める動きが大きく絡み合って一つのビジョンを創っていく社会全体の再構成です。英語で「憲法」を意味する “constitusion” は国家や社会の「構成」の意味でもあり、新たな社会の新たな原理へ進んでいるのでしょう。これを知る事がもうひとつの大きな意義です。

それは「米軍基地でなく観光産業などで自立経済は成り立つ」「今度こそこれ以上子どもや孫に基地を残さず、平和な沖縄にする」「日本政府の差別と暴力がひどすぎる、自己決定権を認めろ」「自立を強めよう」といった怒りと希望の積み重ねだと思います。そして戦後70年間の民衆の力強い基地反対闘争がそれを表現する現場となっています。「琉球新報」「沖縄タイムス」が闘いの現場と政府の不当性を毎日伝えています。

そうして政府がどれだけ「沖縄の声を聞きながら」「粛々と進める」と言っても、実態は凄まじい暴力政策=「植民地支配」であり許されないのだと「対立点」を明確にしてきた。辺野古の海上や米軍基地ゲート前で「抗議行動」でなく「阻止闘争」を展開して押し返した。この結果が経済界の翁長氏支持や保革の協力に還流した。私たちが選挙結果から感じ取るべきはその動きの「総体」だと思います。

私たちが「沖縄に学べ」と言う時、まず私たち「本土」の政治・社会が沖縄の人々をそこまで追い込んでいるという加害者性と、私たちが政府にやめさせる責任があることを自覚・実行することが前提です。だからこそ現地の闘争にも参加することが必要です。その上で学ぶべきは選挙結果以上に民衆運動の歴史と現在、そして「社会全体の再構成」であり、それこそが私たちには決定的に欠けているのではないでしょうか。

今の日本は人々に政治や社会への諦めと無関心が強いと言われ続け、それは選挙結果にも出ています。また経済状況が悪くなりすぎて、自分の身近な生活を守る事に汲々する/そのためにはどこで誰が犠牲になろうと気にしない・気にしたくない、という心理傾向が強まっています。そこで「いま何が問題か、どうすればいいのか、やれるのは私たち一人ひとりだ」と明らかにするのが古今東西、民衆運動の目的です。

しかし絶対多数の安倍自民党政権は原発再稼働、秘密保護法、集団的自衛権、派遣法改悪、「アベノミクス」などを連発し、あまりに問題が大きいため私たちも野党も反対運動に追われてしまいます。それを見越して安倍の方が「この道しかない」と「ビジョン」を示し、「改憲は歴史的なチャレンジだ」と「社会全体の再構成」を宣言しています。

戦後最も政権に支配され癒着するマスメディアは、それを批評抜きで垂れ流し、諦めと無関心に覆われた社会に広がっています。でも実際は生活も何も良くなっていないのだから多くの人が冷めています。安倍自民党政権の戦略は、「熱狂」も「反発」も表に出てこない事をわかった上で自分たちの「ビジョン」だけをスルスル進めていくことであり、麻生太郎の「ナチスを見習っていつの間にか改憲を」発言の意味です。

権力との対立点を明確にし、体を張ってたたかうこと。今とは違う世界を求めて、全体的なビジョンを創り出すこと。これが出来ればどんなにひどい状況でも変えられます。それをするためにも多くの人に辺野古現地の闘いと東京での闘いに参加することを呼びかけます。
辺野古リレーは、関東から辺野古に行き、落差を埋めて基地を止めたいと考えた様々な人たちが集まり続いてきました。参加したあとは、ぜひ新宿西口や防衛省前に来てください。つながり、一緒に行動していきましょう!


工事再開の辺野古基地ゲート前

報告:30代男性(東京都在住)

※ 辺野古リレーのなかまによる現地からのツイートと写真を時系列に並べて編集しました。
※ 文末の( )はツイートの時間です。

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安倍政権と防衛省、沖縄辺野古の工事準備をついに再開!現場は海保のゴムボート七隻がカヌー隊を威嚇し、警戒船が大量に出てます。昨日夜に資材(フロートか)を闇討ち搬入、ゲート前は怒りの集会で資材を止める。集合を、電話抗議を(9:51)

工事再開の辺野古基地ゲート前、工事の車は帰れ!夜中に何を持ち込んだか説明しろ、ここをどかないぞ、防衛局は一切説明しなくなったので今日はゲート前で直接すわりこみです。集まろう(10:32)

工事再開の辺野古基地ゲート前、すわりこみで車両阻止、排除の機動隊が来ると警告されてる !!!集まろう(11:30)

機動隊がきた!現場はひかない、全国の抗議を 暴力排除をやらてていますが断固闘われています 海上は新しい規制フロートが出され、カヌー隊がそれを果敢に止めているとのこと 県知事選をとことん無視する安倍に鉄槌を(12:23)

14時に辺野古ゲート前に翁長新知事が来るとの事!その日の午前中にゲート前でも海でも暴力工事、これが沖縄の勝利を解散で隠したい安倍政権の沖縄差別だ(12:59)

辺野古基地ゲート前より、海上工事が始まりました。海のカヌー隊がベテランほど狙い撃ちされ、カヌーに杭を引っ掛けられて地上に排除され、確保覚悟でまた繰り出す。スパット台船設置のための浮き桟橋作りです。ゲート前も封鎖続行だ、集合を(13:43)

工事再開の辺野古基地ゲート前、いま翁長さんが来るのに、さあまた排除の機動隊が来たぞ、抗議を、拡散を(13:48)

辺野古ゲート前、機動隊がゴボウ抜き排除開始!(14:09)

辺野古ゲート前、機動隊がマスコミを隠して報道させないようにして排除してる!(14:13)


引き続きカヌー練習をしています

報告:30代男性(千葉県在住)

image-5新聞報道でもある通り、防衛局は辺野古崎付近に100m級の桟橋建設を行おうとしており、先日周辺木々の伐採をしました。この点に関しては現地において、大浦湾深瀬ボーリング調査、中仕切り護岸建設のどちらを優先して強行してくるのかわからない状況です。

先日、海上保安庁保安員が4名海上において、ゴムボートに乗り練習をしていました。カヌー隊が見つけ、「海保は帰れ」「暴力は許さないぞ」とぶつけるとキャンプシュアブ内に帰ってしまいました。

陸上、浅瀬ボーリング調査が終わると、そのまま部隊を引き上げた海上保安庁は、再度調査等が始まれば「防衛局の下請け機関」として、また海に乗り出してくることでしょう。

image-616日の県知事選投開票後、仲井真県知事の任期は12月10日まで継続するため、その間に調査等の強行をする可能性が高いことが指摘されています。ゲート前では県知事選の注目と期待も兼ねる県内外の参加者が連日多く参加しております。先日は和歌山からやってきた高校生が多く参加し、島袋文子おばぁの話を熱心に聞いておりました。

カヌー練習中、大浦湾で海中を覗いて見ました。

海の山と言われるこの大浦湾は非常に生物豊かなもので、カヌチャリゾート側までカヌーで繰り出して海中を見てみると、写真でしか見たことがなかった青珊瑚礁が数多く広がっていることが確認できました。

またサンゴの種類も多様で色とりどり様々な魚介類も生息しています。この青々とした自然豊かな辺野古大浦湾に新基地建設をすることは海の破壊、生物の死滅を意味します。

また侵略戦争のための一大軍港を建設することは絶対に認めることができません。県知事選後の調査等強行に備え、ゲート前、カヌー隊は闘いを継続させています。

現地において、期間は問わず数多くの参加者を求めています。


優しさがあるからこそ

報告:20代・大学生

◎10月31日
ゲート前にて、防衛局の現場責任者に対して座り込みの人々から「アスベスト工事の住民への説明について、県等からの要請があるはずだが、防衛局の方針はどうか」というような趣旨で問いただしました。それに対して、現場責任者は「防衛局の担当者に問い合わせろ」という反応。抗議側は、しばらく待つから局と連絡して説明するようにと要請しましたが、その人物は約1時間後に出てきて再び同じ台詞を繰り返していました。

住民の生活や健康に関わる重大な問題に関して、住民側が局まで出向いて問い合わせろ、という防衛局の組織としての居丈高な姿勢が明らかになっていると思います。

◎11月1日

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午後は那覇の「うまんちゅ一万人大集会」に参加したので、ゲート前座り込みは午前だけでした。この日で僕の現地での行動は終わりです。

座り込みに一週間参加させていただきましたが、振り返ると、とても勉強になったことがたくさんありました。

参加させてもらって、まず驚いたのは、ゲート前座り込みテントの中にいると“楽しい”ということです。テントからゲートのところに出ていって抗議行動をするとき以外は、テントの中で集会をやったり、他の人と話をする時間があったりしました。

集会では、色々な団体で参加してる人、今日初めて来た人、今日地元に帰る人、等がマイクを持ってあいさつをしていきます。僕も何度かあいさつさせていただきました。休憩時間には、沖縄の方やヤマトの方、本当に色々な人から個人的に話を伺うことができました。そして、ときにはみんなで歌や踊りを盛り上がります。

何より、皆さん優しい。きっと、この優しさがあるからこそ、基地絶対反対、と闘い抜かれているのだと思います。


学びながら座ってます

報告:20代・大学生

◎10月28日Photo6Photo3
毎日8時から4時までのキャンプ・シュワブゲート前テント座り込みに参加させていただきました。時間がかなりありましたので、沖縄の方に色々とお話を伺いました。

沖縄が400年間もの間サツマ、ヤマト、アメリカから差別されてきたこと、それが今でも基地問題に繋がっていること、といった話が印象に残りました。沖縄独立論も本格的に論じられてきていますが、近代国家としての独立ではなく「自立」するべきだ、と語ってくださった方もいました。地元へのいわゆる振興策についても、一部の人が利益を得る等で、地域の共同体が崩されてきたのだという話もありました。

沖縄の基地問題があまりヤマトでは報じられず、ヤマトではできないようなことを、沖縄では国家権力が通そうとする。そんな現状を変えるために、ヤマトで育った人間として、知ってしまった以上、自分にできることをやっていかなければという思いを強くしました。

◎10月29日

キャンプ・シュワブゲート前テント座り込み。午前中、沖縄県と労働基準監督署、防衛局の三者がアスベスト解体工事について協議をする予定になっていました。

住民への説明も工事についての掲示もなく強行しようとする防衛局に憤った人々が、それを阻止するためにゲート前を封鎖し、入ってくる車両を一台一台チェックしました。そうして、沖縄県の環境保全課の車両が入ってこようとしたところを包囲して阻止し、沖縄県の担当者は市民側との協議を約束して帰って行きました。

この勝利はとても感動的で、民衆の力を見せつけたような感じがしました。

◎10月30日
船に乗せてもらい、海からキャンプ・シュワブを見ました。海の底にあるハマサンゴも見させてもらいました。こんなにきれいな海を埋め立てるなんて許せない!ということを、自分自身の意識とすることができました。


映画『圧殺の海』鑑賞と、ゲート前での座り込み

報告:20代・大学生

◎10月26日
朝の便で羽田から那覇へ。Photo1

午前中、「桜坂劇場」という那覇市内の小さな映画館にて、『圧殺の海』という辺野古新基地建設阻止の行動を映した映画を鑑賞しました。現地で戦う方達の思いが伝わってくるようでした。警察や海保との激突を間近で撮影しているので、臨場感もすごいです。

午後は、那覇からバスで辺野古近くの民宿まで移動です。2時間半ぐらい、ずっとバス。途中、車内から多くの米軍基地を眺めながらでした。バスから見てるだけでも、基地は本当に多い。学校等が中にあって、一つの街のようになっているものもありました。

◎10月27日
朝から、キャンプ・シュワブのゲート前座り込みに参加させていただきました。

まずはテントの設営。そのあとはテントの中で折りたたみの椅子に座りながら、色々な人がマイクで順番に話していくのを聴いていました。

昼食のあと、僕は辺野古の浜にあるテントに行き、辺野古新基地建設問題についてテントの方に詳しい説明をしていただきました。「賛成・反対の以前に、事実がしっかり伝わっていない。『本土』では特にそうである」という趣旨の話をされたのが、強く印象に残りました。

ゲート前に戻ると、何やら騒がしくなっていました。アスベストが含まれる施設の解体工事について説明を求めていた件について、防衛局の副所長が出てきて「住民説明会等はやらない。29日以降工事をする」という趣旨のことを手短に伝えて戻っていったそうです。怒りが強まり、一時は全員で地面に座り込みもしました。それが午後2時台でした。

3時頃から4時にテントを片付けるまでは平和な時間で、また色々な人がテントの中でマイクで話しました。このときに僕も挨拶をさせていただきました。

民宿に戻ると、一緒に泊まっている皆さんと歓談して、就寝。

やはり強烈に感じたのは、ヤマト(「本土」)において、そもそも辺野古新基地建設ということがいかに問題を帯びているか、ということが、まずはもっと広く知れ渡らなければならない、ということです。


アスベストを含む施設の解体工事阻止行動へ

報告:20代・大学生

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今、僕は座り込みに参加しています。情勢をお知らせしたいと思います。

防衛局がキャンプ・シュワブ内での、アスベストがある施設の解体工事を10月29日に始めると言っています。こちら側が大気汚染防止法を根拠に住民への告知を要求していましたが、「基地内に掲示している」ので問題ないとしています。予定通り29日、保健所と労働基準監督官(?)の立ち会いを受けて工事を始めるつもりのようです。

そこで29日は、座り込みの人達で朝からゲート前を塞いで出入りする全ての車をチェックして、実力で阻止しようとしています。今日も昨日も一時地面に座り込むなど、緊迫してきています。

そもそも、アスベストの件も情報公開請求がされなくては明らかにされませんでした。防衛局は不都合な情報を隠蔽し、住民に知らせないようにことを進める体質が明らかです。

29日が大きな戦いになりそうです。


辺野古の海に抱かれて

報告:古池空子(65歳)

新聞記事より

「辺野古海上抗議 船長の男性死亡ー出港作業中溺れる」

19日午前11時、名護市の汀間漁港から西約400メートル先の海岸の沖合約50メートル付近の海面で、那覇市小禄のSさん(72)が浮いているのを中城海上保安部の海上保安官が発見した。(略)Sさんは、米軍普天間飛行場の名護市辺野古沖移設に反対する市民グループのメンバーで、抗議船「なずき丸」の船長をしていた。(「琉球新報」2014年10月20日、記事中の名前はイニシャル表記とした)

私と友人が辺野古に到着したのが、この日の午後2時でした。

20日は、Sさんを悼み海上での行動はありませんでした。

22日に私と友人はキャンプシュアブゲート前で平良大先輩の後押しもあって、辺野古テントに行き「船に乗せて頂きたい」とお願いしてみました。「防衛局が動いた!」という声で、急遽船が出港することになり二人も乗船させて頂きました。

大型台風19号の自然の猛威で美しい海を隔てていたフロートは無残な姿で浜に打ち上げられあれほど、威圧していた海上保安庁は台風襲来から姿を現していないそうです。国が勝手に決めた制限海域は壊れていました。
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海を渡る風はやさしく、経験したことがなかったほどここちよかった。波は穏やかで、これが「凪」というのでしょうか美しい!うすみどりがかった海面、その透明度。心がふわーと解き放たれていくようでした。

この海に信じられないほどの広範囲にに土砂やコンクリートを流し込むという新基地建設に沖縄の自然の猛威を相手に完成など可能なのかと、疑った。

S船長が亡くなったばかりもあって、緊張していたこともあったのですが、船から下りて浜に着いた時友人は辺野古の海の美しさに圧倒され感動し涙をいっぱい流して私に抱きついてきました。私とて胸がいっぱいで、浜でふたりで抱き合っていました。

案内して下さった若くたくましい海人や、カヌー隊が辺野古の海に漕ぎ出していく様を海から見たとき、「新基地は絶対に造らせない!」という覚悟を感じました。

若い彼ら、彼女らの姿は本当にまぶしかった!

東京から新基地建設絶対に阻止していくために声をあげていくことを表明し東京に戻りました。


座り込みを機動隊が排除!緊迫のゲート前から

報告:30代男性(千葉県在住)

いやはや、今日(10月23日)の行動が終わりました。結構想像してたのとは違い、ゲート前は緊迫した状況でした。

まず、現在キャンプシュアブ内で工事用作業ヤード建設のため、既にある施設を解体しようとしてます。その施設には大量のアスベストが含まれており、環境への影響に従うことが沖縄防衛局に求められています。しかし、防衛局は環境への評価を全く行わず、また地域住民への説明も行わない、地域での焼却処分がどれだけ影響が出るかを考えずに解体作業を行おうとしています。さらに県知事選で焦点化しないと踏んで強行しようというのです。

本日のゲート前の闘いは、防衛局の責任者にこの問題の説明責任、施設解体を環境基準に則って行うことを要請しましたが、結局防衛局は西副所長がいるのに完全無視、ゲート前で座り込みを始めると機動隊を大量動員して排除してきました。機動隊は暴力的に排除したたため、怪我をする人が大量に出る結果となり、山城博治さんも爪が剥がれ血が出ていました。他にも引き倒されたりする人もいました。 この機動隊の暴力にわたしたちは国道を占拠して、対峙しました。

しかし、また機動隊は暴力的に排除を行ってきました。本当にひどい状況で、7月の機動隊による暴力が再現される有り様でした。

カヌー隊は、辺野古、大浦湾でカヌー練習、フロート再設置を行う防衛局船の抗議監視活動を展開していました。しかし、海上保安庁ゴムボートはこの間全く出ていません。メンバーを見ると新しくカヌー隊を担っている人が多く見られ、また女性が多く参加する形になっていました。これから行われる深瀬でのボーリング調査阻止のため一つ一つ行動を積み重ねています。

やはり、県知事選前で人が少なくなってきているので、今だからこそ支援者が必要だと感じました。ぜひ辺野古リレーで多くの人を現地へ!


座り込みとカヌー隊に参加させてもらいました

報告:40代男性(東京都足立区在住)

8月28日
朝7時半に宿を出発。キャンプシュワブ・新ゲート前で、まずはテントづくりだ。最初から「作り方がなってない」と現場責任者の山城博治さん(沖縄平和運動センター事務局長)に叱られて、しょげた。
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テントが完成すると、県内・県外から集まった人々が次々に発言した。沖縄の日差しは強烈で、テントがあってもつらい。座り込みを続ける方々に頭が上がらない。

10時半、武田防衛副大臣が「視察」と称して辺野古上空をヘリでやってきた。「何しに来た、帰れ」と座り込み参加者は立ち上がり、ゲート前でシュプレヒコールを繰り返した。旋回しているヘリに向けて「辺野古埋め立て阻止」のプラカードを突きつけた。

抗議行動の後、辺野古浜のヘリ基地反対協議会のテントに移動。沖縄国際大の学生達が教員に引率され見学に来ており、安次富浩さん(ヘリ基地反対協代表)から説明を受けていた。横でこっそり拝聴する。

続いて海上見学をさせてもらった。安倍政権が勝手に設定した「臨時制限区域」を示すフロートの内側に、ボーリング調査を行っているスパット台船が2台あるのを確認した。近寄ると海上保安庁の船が執拗に追尾してきた。海保は「危ないですから近寄らないで」と警告するのだが、カヌー隊の青年を「確保」と称して暴行を加えたり、わざと水深の浅い航路を通らせようとするなど、危ないことをしているのは海保のほうだ。

8月29日
朝、ヘリ基地反対協の第2テントで待機していると、「カヌーの漕ぎ方を教えてあげる」というので急遽、講習を受けることになった。滞在期間が短いので、カヌー隊への参加はあきらめていたのだが。

辺野古浜の浅瀬で、基本的な漕ぎ方を教わる。カヌー隊の経験者が親切に教えてくれたので、飲み込みの悪い自分は助かった。ただ、カヌーが転覆してからの回復訓練が難しかった。

一通り練習が済んだら、小船にヒモでつなげ、沖にある平島という小さな島まで曳航してもらう。ここで休憩となり、少し泳がせてもらった。珊瑚の周囲に、青い海水魚がヒラヒラ泳ぐ姿が美しかった。これを見れば、「ここを埋め立てるなんて絶対に許せない」と誰しも思うはずだ。
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次にいよいよ、ボーリング調査が進行中のスパッド台船近くまでカヌーを漕ぐ。待ち構えていた海保のゴムボートに取り囲まれるが、暴力的な排除はなかった。カヌー隊は、フロートに沿って並び、台船の上で黙々と作業を続ける作業員に対し、「調査を中止せよ」と声を限りに叫び続けた。

その後、22日に海保職員に暴行を受け頚椎捻挫のけがを負った青年が、名護裁判所に告発を申し入れるというので仲間たちと同行。裁判所前で記者会見した青年は「もうこれ以上、海保職員の暴力を許さない」と告発の意図を明らかにした。

8月30日
今日のカヌー隊は37人も集まり、これまで最多の人数という。さあ出発かと思いきや、雨雲がたちこめて来たので待機する。

正午前、ようやく雨雲が去っていったので、それ急げと辺野古浜からカラフルなカヌー部隊が一斉に海に乗り出していく。

2人乗りのカヌーだったが、私の同乗者は、なんとあの「日の丸焼却決起」「ゾウの檻の反戦地主」として沖縄のたたかいの先頭に立ってこられた知花昌一さんだった。別のカヌーには作家の目取真俊さんも乗っている。那覇から毎日駆けつけている若者もいれば、私のように県外から参加している人もいる。みな「ボーリング調査を何としても止めなければ」と固い表情でカヌーを漕いでいる。

正面には例によって海保の黒ボートが数隻、待ち構えていた。しかしカヌー隊は力強く突進し、18隻のうち8隻ほどがフロートを突破した。大半がすぐに海保に拘束されたが、なかには台船の近くまでたどり着いた人もいた。
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大きな怪我をした人はいなかったようだが、羽交い絞めにされて海水を大量に飲まされた人、メガネを壊された人もいる。20人の仲間が海保のボートに拘束された。小船に乗って山城さんがトラメガで猛烈に抗議をし、1時間後に解放された。海保の暴力に対する告発が効いてる。もっといえば、カヌー隊の背後には沖縄の人々の怒りがあるから、海保も「一時拘束」以上のことはできないのだろう。

短い滞在だったが、ここで体験したことを多くの人に伝えていきたい。そして次の現地派遣につなげることができたらと願う。

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  10. 池田 輝幸

    戦争のもとになる基地は造らせてはならない。沖縄の戦前・戦中・戦後の苦しみに未来の苦しみを残してはならない。阿倍政権のやっていることは未来の苦しみを与えることだ。

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