ご存知われらのTさんがふたたび辺野古へ!
Tさんのあたらしい報告をまだかまだかとまちかんてぃしていた全国のTさんシンカのみなさまへ、辺野古ゲート前&海上行動の「なま」を伝える不定期連載、「Tさんのすわりこみ日記」の2016年第1弾をお届けします!!
Tさんのあたらしい報告をまだかまだかとまちかんてぃしていた全国のTさんシンカのみなさまへ、辺野古ゲート前&海上行動の「なま」を伝える不定期連載、「Tさんのすわりこみ日記」の2016年第1弾をお届けします!!
われらがTさんの報告をまちかんてぃしてる全国のみなさま、掲載が遅れておりました昨年2015年11月分の「Tさんのすわりこみ日記」のラスト3日間を一挙掲載します!!(Tさん掲載が遅れてすみません!)
あのTさんがまたまた辺野古へ!
われらがTさんの報告をまちかんてぃしていた全国のみなさまへ、Tさんのすわりこみ日記をお届けします!!
【11月14日】
10:00、那覇・県庁前出発の島ぐるみバスに乗る。
11:00、ゲート前テントに到着。
「テントしんか」(ゲート前テントの実動的な人々)から、警視庁機動隊が着任してすぐ、格段に暴力をエスカレートさせてきた実例をいくつか聞く。殴る、蹴る、引き倒す。ツイキャス中継者を連行し暴行を働く。お年寄りも容赦しない。「ブタを一匹確保」と信じがたい暴言も吐く。沖縄県警が紳士的に思えてくるほどだ。
13:00、学生団体「シールズ琉球」主催の集会が始まる。学生数人がスピーチ。来年1月の宜野湾市長選に立候補した志村恵一郎氏、夏の参院選に立候補した伊波洋一氏も相次いで登壇。志村氏、シールズ風のコールで「沖縄、なめんな」と言うべきところを、「民主主義をなめるな」と言って一同爆笑。
それにしてもシールズがゲート前に来る、というだけで、テレビ局などマスコミ各社が取り囲んだほか、「島ぐるみバス」にもシールズ目当てに来たという人がけっこういた。土曜にしては珍しく300人の結集なのもそのせいか。
集会中は右翼団体「大日本忠仁会」の街頭宣伝車が何回も往復してやかましかった。
夕方6時半、ゲート前で地元の家族連れの方々が、キャンドルを手にもって、通行する車両に向けて「辺野古の海を守ろう」と訴えていたので、少しだけ合流させてもらった。かれこれ11年、毎週土曜夕方に行っているそうだ。頭が下がる。
いまテントでは、警視庁機動隊への警戒を強めている。とくに何人かの悪質な要注意人物を特定して、徹底糾弾することも考えられている。夕方、品川ナンバー、練馬ナンバーの装甲車が、カヌチャリゾートに去っていくのを見て、こんな連中を東京から送り出してしまった責任を痛感する。
【11月15日】
日曜日だが、工事車両の侵入を警戒し、早朝の監視行動はいつも通り。
工事車両は結局、入らなかったものの、県警と警視庁合わせて6台の装甲車がメインゲートに入って行った。いつでもこちらを弾圧できる体制だ。
午後、例によって右翼団体の街宣車がやかましく往来する。しかしこちらも負けておらず、ある集会参加者が大音量で「ウチナーの怒りをぶちまけろ〜!!」などと激しい歌声で圧倒した。これは大げさな表現ではないと言っておきます。
集会が終わるとテントの補足作業に精を出した。
夜、辺野古の集落にある某飲食店で仲間と飲む。ビリヤード台やダーツがあるこの店の歴史は古く、半世紀。今でも週末はキャンプシュワブの海兵隊員がくつろぐそうだ。ホステスさんに、興味深い話を聞いた。
毎朝早いので、極めて抑制的に飲んで帰りました。
【11月16日】
朝6時台、工事車両の進入を阻止するため、地元のおばあを先頭に座り込みを開始。
警視庁機動隊らによる暴力を許さないため、特に暴力的な隊員の顔写真が集約され、「要注意人物」として警戒された。
私も座り込み、やがて排除されたが、運び出されるときに相手に「警視庁か」と聞くと、「県警です」との答え。道理で、思ったより乱暴ではなかった。
しかしいずれにしろ、すべての人が排除され、また工事車両がキャンプシュワブ内に入ってしまった。やはり先週の水曜日くらいの人が集まらないと、機動隊を押し返すのは難しい。
なんとか海上行動のミーティングに間に合い、久々にカヌーチーム「辺野古ぶるー」に参加。昨日、3つめのスパット台船が設置されたのだが、そのうちふたつは、辺野古崎付近でフロート越しでもかなり近く感じられる距離にあった。
午前と午後、海上保安庁のゴムボートを振り切り、フロートを超えてなんとか台船に迫って、作業員に中止を求めようとしたが、いずれもフロートを超えたところで拘束されてしまった。
(つづく)
あのTさんが帰ってきた!(ってどこに)
再び辺野古へ行ってきた我らがTさんから報告が来てました。うっかり更新をしそびれていましたが、満を持して投稿です!!
【9月22日】
6時、ゲート前に集合。打ち合わせ後、工事車両搬入阻止行動へ。海外の仲間が不当逮捕。
14時半、名護警察署に移動。「平和の海 国際交流キャンプ in 沖縄」に参加していた他の韓国や台湾などの人々とともに声を上げる。糸数慶子議員らが応援にかけつけた。
17時ごろまで「フリー・マイ・フレンド!仲間を返せ」と抗議行動を展開。
19時ごろ、瀬嵩の浜で開かれていた「満月祭り」に参加。
【9月23日】
6時からのゲート前行動に少し参加した後、7時からテント2に集合。カヌーチームに加わる。
16艇が出艇し、これとは別にカヌー教室にも4人ほどが参加。辺野古崎を通り船に曳航してもらい、大浦湾へ。
和船がフロートの点検作業をしているのを監視。時折、沖縄防衛局の船が来て「臨時制限区域に侵入している」と警告してきたり、「これは普天間の代替施設だ」「戦争を起こさないためだ」等と論争を吹っかけてきた。
平島で昼食をとり、休憩。午後は、フロート点検以外の作業はなさそうだと判断し、撤収。
名護警察署に行き、10日間の勾留延長が付いたことを知る。警察署前で抗議行動を続ける。
また、9.16国会前弾圧で逮捕された辺野古リレーの仲間に対する激励のメッセージを書いてもらう。
【9月24日】
7時、テント2でカヌーチームミーティング。12艇で出艇。辺野古崎で監視行動を行う。しかし10時ごろ、天候不順により撤収。台風が近づいており、台船も入る気配はなかった。
午後、名護警察署へ。逮捕された方のお連れ合いが自らマイクを握ってアピールした。弁護士とともに面会に行くご家族を激励しながら、県警への抗議行動を続ける。
夕方、ゲート前テントに戻り、ミーティングに参加。
【9月25日】
6時、ゲート前でミーティング。韓国と台湾の仲間が辺野古を去るにあたって挨拶。
工事用ゲート前でシットイン。私は、4人の機動隊に両手両足を掴まれて排除された。正門前に移動。米軍車両に対しても「マリーンズ・アウト・オブ・オキナワ!」と抗議。
休憩していた9時過ぎ、作業員を乗せた14台の車両に入られてしまった。裏をかかれた。
10時、名護警察署へ。「普天間基地・野嵩ゲート前でゴスペルを歌う会」が「ウイーシャル・オーバーカム」などを歌って当該を激励。
午後、羽地内海へ行き、2隻の作業台船が停泊しているのを確認。夜のゲート前ミーティングで、9.16国会前弾圧の6人が解放されたことを報告。
【9月26日】
6時、ゲート前でミーティング。
工事用ゲート前で座り込みを開始。Yさんが「安保、廃棄!沖縄、返せ!」と音頭を取りつつ、歌を歌いながら今日こそ作業車両を止めると決意。
ある参加者の発言「翁長知事の埋め立て承認取り消しが迫る。我々が有利になればなるほど、弾圧は厳しくなる」。
工事車両が突如迫り、ゲート前からも応援に駆け付けるが、いちはやく機動隊が歩道のみならず車道も含めて封鎖。座り込みを次々と排除して工事車両を通した。
座り込みをしていた年配の参加者が、機動隊に排除される過程で、意識を失った。すると機動隊は「規制線」の外の車道に彼を放置。救急搬送される事態となった。
10時半、名護警察署へ。抗議活動をおこなう。「朝露」など韓国の民衆歌が歌われた。
ゲート前に戻ると、台風対策でテントを骨組だけ残して撤収する作業が始まっていた。屋根を外し、荷物をトラックに積み込む。
そして深夜、不審な動きがないか交代で警戒する。
【9月27日】
テントが撤収され、今後の激闘も予想されることから、丸一日、ゲート前行動は休み。海上行動も同様。
「6月4日」の巻
早朝の警戒行動は30人ほどが参加。機動隊の対応がひどい。ただ車道を歩いてるだけの人を取り囲み、フェンスに押さえつけたりする。もちろん、法的根拠などない。
さらに、ある機動隊の指揮官が抗議行動参加者を「犯罪者」と連呼した。参加者の怒りが爆発。機動隊が基地内に戻った後も「暴言を許さん。出てきて釈明しろ」と迫った。
昼、参加者は瀬嵩の浜に向かい、辺野古ぶるーを応援した。海保がまたしても仲間を暴行したようだ。私はテント受付でしっかり留守番。
森の映画社制作のDVD「速報 辺野古のたたかい」の最新版が出た。抗議船転覆や県民大会の模様を収録している。島ぐるみバスの人々が買っていった。
本日は辺野古滞在も最終日。到着したリレーの仲間とバトンタッチして、島ぐるみバスで那覇まで乗せてもらった。
「Tさんのすわりこみ日記」の第2弾となる1週間の現地報告、いかがでしたでしょうか。今後もこのブログではTさんのすわりこみ日記をはじめとして、現地に行かれた方々の報告を掲載していきます。
またTwitterでも現在@henokorelayにてリアルタイムな現地の様子が報告されていますので、こちらも併せてご覧ください。
辺野古リレーの取り組みは沖縄から全基地が撤去される日まで続きます。みなさま、共に声をあげていきましょう!
「6月3日」の巻
早朝、ゲート前へ。今朝は200人かそれ以上の方々が結集した。資材用ゲートに座り込むが、いつもと違ってそう簡単に排除できる人数ではない。YASUさんの音頭で「座り込め、ここへ」を歌いながら座り込みを開始。
やがて警察官のごぼう抜きがはじまった。寝転んだら両腕、両足を掴まれて排除された。先日、カヌーを急速に漕いだためか上腕筋が痛かったのを、機動隊に荒々しく掴まれたため、激痛になってしまった。さらに、強烈な日差しの下、県警の諸君とおしくら饅頭をしたので汗が噴出し、頭がクラクラした。無理はするものではない。あとペットボトルを持参したほうがよい。
その後、工事車両は入ってしまったが、30分以上、入るのを遅らせることができた。つまり、それだけ基地建設が遅れたということだ。
昼、ゲート前のみなさんとともに瀬嵩の浜へ。ちょうど、海保に拘束されていた辺野古ぶるーの仲間が浜へ戻ってきた。今度はこっちから激励してみる。妙な気分である。
「6月2日」の巻
カヌーチーム「辺野古ぶるー」は全員、瀬嵩の浜へ。
地声で抗議した後、一斉にフロート越えを試みた。大型フロートがひとつ、小型フロートが2つの計3つを越えなければならない。しかしフロートの間にカヌーが挟まってしまった。仕方なく泳いで台船まで行くぞ!と最後のフロートを越えた途端、海保に拘束されてしまった。
浜に戻ると、「島ぐるみ会議」のみなさんが大挙して激励に。「辺野古ぶるー、がんばれ!ゲート前が付いてるぞ」との声援に感動する。ありがたいことである。
昼休みの後、もう一度スパット台船に近づいたら、なんと小型フロートが増えて計4つになっていた。姑息だが、防衛局もよほどあせっているらしい。
「6月1日」の巻
早朝、第2ゲート前で海保車両の侵入を警戒。ここは4月、私も海猿集団にすっ飛ばされたし、YASUさんも羽交い締めにされたところだ。しかし結局、海保は来なかった。
瀬嵩の浜から、カヌーで出動。スパット台船がボーリング調査を始めている。その背後に別のスパット台船が移動してきた。
台船で海底ボーリング調査をしている「中央開発」と防衛局に対して、抗議の声を上げ続けた。50メートルほど先なので、作業をしている様子がわかる。肉声でも、抗議の声が届いているかもしれない。「海を壊すな」「沖縄の声を聞け」「戦争準備に協力するな」など声を上げる。
「5月31日」の巻・その2
キャンプシュワブ・ゲート前の早朝行動。資材用ゲートで座り込もうとしたら、なんと警察車両が歩道に乗り上げてきた。抗議行動は封殺され、警察官による「ヒューマンチェーン」の背後で、工事車両が次々と入っていった。毎度のことながら悔しい光景だ。
海上行動は、昨日までに2機のスパッド台船が完成しており、これが実際にどこでボーリング調査を開始するのかが不明だった。私のチームは瀬嵩の浜から出発。フロート越しに様子を見ていたところ、1機が目の前に移動してきて、固定され、掘削作業の準備がはじまった。
午後、船団とカヌーすべてが結集し、作業の様子を見ながら、工事の実力阻止行動をかまえた。ところが雨雲が押し寄せ、大雨となり、急いで浜に撤収。もう少し撤収が遅れたら、雷雨に包まれるところだった。これだから海は恐ろしい。
「5月31日」の巻
キャンプシュワブゲート前へ。
僭越ながら辺野古リレーを代表し、発言の機会を与えてもらった。5・24国会包囲ヒューマンチェーンに15000人が結集し、1月の国会包囲が7500人だったから、倍増し大成功したと、やや誇らかに報告できた事がうれしい。
しかし5・28経産省前抗議行動で3人の仲間たちが不当に拘束されたことは、怒りをもってお知らせしなければならなかった。これは、沖縄連帯運動への弾圧でもある。即日、「仲間を帰せ」と3人が拘留されている警察署に仲間たちが詰め掛けた、と聞いている。療養中の山城博治さんが「仲間が逮捕されたら、全力で救援にかけつけよう」と語り、行動したのを思い出した。
集会では「海人の会」結成総会の報告、映画監督・三上智恵さんのあいさつ、各県から訪問した仲間からのアピールが続いた。資材用ゲート、新ゲート前でも抗議行動が展開された。途中、右翼の街宣車がウロウロし、騒音を撒き散らした。
沖縄民謡とカチャーシー、オカリナ、ギターやドラムの演奏と、後半はミニコンサートと化した。個人的には、「癒しのひととき」となった。たまには良いでしょう?